[川崎市(神奈川県) 22日 ロイター] – エンジンをかけたままの救急車から、2人の救急隊員が素早く降り立ち、新型コロナウイルス感染が疑われる女性を乗せた担架を慎重に下ろした。小さな顔に酸素マスクをつけた高齢の女性を隊員ら医療スタッフが手慣れた様子で病院内に運び込む。その直後、救命救急センターには新たな患者が到着した。 

神奈川県の聖マリアンナ医科大学病院。新型コロナが世界で猛威を振るう中、同病院は他の医療機関が拒否した患者を次々と受け入れ、この感染症と戦う医療最前線の象徴的な存在となっている。 

ロイターは数日にわたり、同県川崎市宮前区にある同病院の救急救命センターを取材、新型コロナ患者の治療にあたる専門チームに密着した。 

同チームで働く医師や看護師たちは、時には防護服に身を固め、人生が絶望へと暗転しかねない患者の治療に格闘している。緊急事態宣言が徐々に解除され、病院の外では通常の生活が戻りつつあるが、取材から見えてきた病院の姿は異なる世界だった。 

未曽有のパンデミック(世界的な大流行)から人々を守るという強い使命感とともに、彼らには残酷なまでに希望を奪い取るウイルスとこの先も数カ月にわたって戦わなくてはならない、という諦めのような思いも感じられた。異常な日々が常態化する中、医療スタッフの1人は、生と死が予測できたコロナ前の日常をほとんど思い出せない、と語った。 

コロナ禍を封じる最後の砦である医療現場では、終息の兆しが見えない現実が今もなお続いている。 

<「我々が逃げたら、誰がやるのか」> 

各種のデータを見る限り、日本は他の多くの国より、このパンデミックにうまく対応してきた。他国のような感染者の急増はみられず、4月中旬以降は新規感染者が減少傾向にある。これまでに確認された感染者は1万6000人超。世界で30万人近くが亡くなる中、死者は777人にとどまっている。 

4000人近い乗客を乗せて横浜港に停泊中、集団感染を起こしたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」。その患者を率先して受け入れたのは聖マリアンナ病院だった。以来3カ月、同船を下船した乗客も含め、同病院は新型コロナ患者を積極的に治療してきた。特にICU(集中治療室)に収容した重症者と中症者の数は、国内の病院では最多規模の約40人に達している。 

緊急を要する重症者は駐車場に設置したテントで気管挿管することもある。容体次第では、透明ビニールに囲まれた手術室に運び、気管切開を行う。ICUの中では、防護服に身を包んだ看護師が6人1組となり、何本ものチューブで様々な救命器具につながれた患者の姿勢を変える作業に当たる。 

疫病を防ぐとされる日本神話の妖怪「アマビエ」のイラストが貼られた院内では、日夜を問わず、新たな感染症と戦う緊張とあわただしさが交錯していた。 

センター内の廊下と病室は緑、黄色、赤に色分けされている。人の流れと感染リスクをコントロールするためだ。 

一般のマスクで立ち入り可能な「緑ゾーン」、検査結果が出ていない患者の病室などがある「黄色ゾーン」、重症患者を収容し、宇宙飛行士のような防護服と電動ファンがついた特別の呼吸器を装着する必要がある「赤ゾーン」。医療スタッフはそれぞれのゾーン担当を交代しながら勤務にあたる。 

だが、異常事態に慣れた医療スタッフばかりの同センターでも、当初、新型コロナウイルスの患者を積極的に受け入れようと説得するのは容易なことではなかった。 

「救命センターで全部やるぞって言ったら、看護師も医者も、なぜウチだけがやらなければいけないのか、と言い出した」と、同病院の平泰彦・特任教授(救急医学)は話す。同氏は常に「他に行き場のないコロナウイルス患者を引き取る義務がある」と念を押していたという。 

このコロナウイルスの特別な危険性を考えれば、スタッフが及び腰だったのは無理もなかったと平教授は言う。 

「(コロナ)にかかる確率は高い。だけど医者になった以上、仕方がない」。そして、スタッフにはこう付け加えた。「自分たちが逃げだしたら、一体誰がやるんだ」 

<家族からの手紙> 

同病院では毎朝8時、夜勤明けの医師が1人ずつ、取りまとめ役の医師のもとにやって来て、数字や略語を読み上げる。ICUに入院する患者11人の容態についての報告だ。使い込んだPHSを片手に、手狭な廊下を歩いてきた藤谷茂樹・救命救急センター長が報告の場に顔を出した。 

「今朝も1人の患者が亡くなった」と藤谷センター長は記者に告げ、ホワイトボードに近づいた。ボードにはマスキングテープがマス目のように貼られ、左側の枠には重症者(そのほとんどが50代、60代)の名前、その横にはここ数日の治療経過が詳しく書き込まれている。 

4月5日、6日、8日、12日に患者が入院したことを示す記録、入院前あるいは入院後すぐに気管挿管を行った記録、「アビガン」の試験的投与の記録、人工心肺装置を装脱着した記録などが書かれていた。 

その朝に死亡した男性の名前はすでに除かれ、ICUには合わせて3つの空きベッドができたが、藤谷さんは、夕方までに埋まってしまうだろうと語った。 

藤谷さんが急に表情を変えた。休憩室でマスクをずらしたまま会話をしている看護師たちを見つけたからだ。 

「話すときはマスクをして!」。藤谷センター長は看護師たちに近づき注意した。「そういう気のゆるみが院内感染を起こすからね」。 

休憩室の一角にあるボードには、先月亡くなった患者の家族から送られてきた手書きの手紙が貼ってあった。「こんなに辛いことが起こるとは、思いもよりませんでしたし、いまだ実感が持てずにいます」。家族の重い気持ちとともに、医療スタッフへの感謝の言葉もしたためられていた。 

<ぬぐえぬ無力感、蓄積するストレス> 

ナースステーションにあるモニターの画面は、壁の向こう側のICU内にいる患者の様子を映し出している。 

「全然良くなってないです。見かけ上は良くなってますけど」。応援のためセンターに派遣された小児科医はコンピューターの画面に映し出されたデータを見ながら、そう語った。 

「数週間ずっと、症状が何も変わらなくても、急に容体が悪化するというのはよくあります」と、藤谷センター長は自分のオフィス内を歩き回りながら語った。「治ってくれるのなら頑張ろうと思うけど、すごく力を注ぎこんできたのに亡くなってしまったら、無力感を感じる。みんな治すつもりでやっているんだから」。 

ICUで治療を受けた患者のうち、これまでに1人が補助器具なしで呼吸できるようになった。しかし、無事にICUを出たとはいえ、完全に回復するかどうかはまだ分からない。 

藤谷センター長は、4月に自殺したニューヨークの救急医について語った。その女性医師は何十人もの新型コロナ患者が死んでいく姿を目の当たりにしたという。 

「こんな状態が2カ月、3カ月に及んでいるから、かなりストレスはかかっていると思う」と、藤谷さんは言う。 

<ICUの収容能力は限界> 

正午過ぎ、前の晩からの徹夜勤務を終えた森川大樹医長は、東棟のコンクリート階段を上り、壁に大きなスクリーンがかかる会議室に入った。各科の責任者が、ここで新型コロナへの対応状況を報告し合う。 

感染した疑いのある患者2人について、やり取りが始まった。「2人ともマイナス(陰性)でした」。「じゃぁ、もうロールアウト(一般病棟に移す)して大丈夫?」 

「1人は大丈夫なんです」と森川医長が答える。「けれど、もう1人は濃厚接触者といた人なので、すぐには除外できません」。 

会議を主催していた藤谷センター長が、その1人をセンターに残すという指示を出した。 

森川医長は会議が終わると、カラフルな表を広げて見せてくれた。新型コロナの治療に当たる自身のチームを含めたICU内の勤務シフトだった。 

「はじめは救急(担当チーム)だけでやっていたんだけど、パンクしてしまうということで、外科とか循環器内科とか(他の担当部門)から4人入れているんです」と森川さん。 

「現在は最大で15人のコロナの患者を診る体制でこうなっているので、これ以上増やすというのには限界があると思う」 

ある時、ICUの能力すべてを新型コロナ患者に集中するべきではないか、という議論もあった。しかし、その提案は通らなかった。 

「コロナじゃない他の患者はどこが診るのか。そういう問題もあった」と、森川医長は話す。同センターでは新型コロナの重症者向けの15床に加え、地域の医療機関として果たさなければいけない役割がある。2月以降、コロナ患者に対応しながらも、心臓発作や脳卒中などの重症患者も診療している。 

<家族との別れはiPad越し> 

病棟の扉の外で、診療看護師の小波本直也さんが大きなため息をついていた。 

「もう終わりが見えない」と、1カ月前に新型コロナ対応チームに加わった小波本さんは患者のことを語り始めた。 

「良くならないんですよ。治療反応がない。挿管したら8割が亡くなるというデータもありました。だけど、どうしてもこの患者さんは(ご家族に)つなげてあげたいと思うんです」 

医師が患者の最期が近いことを察知すると、小波本さんは家族に電話をかけ、病院に呼ぶ。家族は患者の側には行けないが、iPadのアプリ越しに声をかける。

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手袋を二重にはめ、フェイスシールドとマスク、ビニール製ガウンを重ね着した小波本さんは、もうすでに意識がない患者にiPadを近づける。家族は思い出を共有し、最後の別れを告げる。 

「お父さんは頑張っていますよ、早く帰れるように頑張っていますよ、とご家族の皆さんには伝えます」。小波本さんは息を引き取りつつある患者に語り続けた。 

担当医師が死亡診断を下す様子もiPadで遺族に伝える。最後の別れをしたいと希望する遺族には、小波本さんが亡くなった人の写真を携帯で撮影して送ることもある。 

故人が飾っていた家族の集合写真を見たり、家族との手紙を通して「(その患者が)どういう人だったのか想像できる。」と小波本さんは言う。「(TV電話などで)患者と家族をつなげられるということが一つの癒しにはなっていますね。」 

<帰宅しても子供とは別々> 

夕方、救命救急センターの重症患者看護専門の看護師、津田泰伸さんと小原秀樹さんがスタッフエリアに座っていた。この日も2人は、コロナ患者の対応にずっと追われていた。 

「家に帰ってからも、コロナ関連のニュースでやっていると見てしまいますし、(気を)抜く場所がない、離れられないという感じ」と看護部副師長の小原さんは語る。 

部下の多くは、パンデミックの最前線で働くという「新常態」に適応しなければならなかった。ある女性看護師は夜に帰宅し、家族に夕食を作る。しかし、子供たちが感染するリスクを避けるため、食べる時は別々だ。 

津田さんには生まれたばかりの子供がいる。帰宅して玄関で子供の顔を見ると、安らぎとともに、抱き上げたいという衝動がこみ上げる。 

「でも、抱っこしてあげたいけど、(感染が心配だから)そうしてあげられないな、と思ってしまう」と津田さん。 

津田さんは、帰宅するとすぐ新しいマスクに取り替える。家でもマスクをしているため「子供は、私の顔を全然知らないかもしれない」と話す。 

<あと1年は続く> 

多くの国が封鎖措置を終わらせようと模索する中、聖マリアンナ病院の医療スタッフは、世界中のICUで働く人々と同じく、終わりが見えない現実に向き合おうとしている。企業は経済活動の再開を切望し、市民の多くも元の生活に戻ることを望んでいるが、それによって感染者がどれほど増える危険があるのか、最前線の医療従事者にも分からない。 

「もうすでに戦いが3カ月以上にわたり、そして外出制限などもあり、相当なストレスを感じている医療従事者も多くいると思います」と藤谷センター長は病棟の廊下で語った。「その人たちのストレスをいかに軽減させながら戦っていくか、というのが今後の課題です」 

津田さんは、自分のチームに防護服と呼吸器が必要な「赤ゾーン」担当の順番が回ってくる前からスタッフたちに注意を促しておく。心の準備を万全にするためだ。シフトの前日は、安全手順を復習したり、防護服で作業したときの暑さと疲労を想像し、不安の中で時間を過ごすことになる。 

「自分が(疲れて)弱っているというのは、たぶん皆が言いづらいし、私もかなり言いにくいですよ」。津田さんの話をさえぎるかのように、彼の電話が鳴った。 

看護師としてのシフトが終わっても、津田さんにはまだまだ仕事が残っている。同僚とともに、看護スタッフの新たな安全マニュアルを作り始めた。津田さんが病院を出るのは午後11時近くになりそうだ。 

こうした生活は「あと1、2カ月とは思っていない。1年くらいとか続くだろうなとみています」と津田さんは言う。 

夜が更け、人影が減ったセンター内に静けさが広がる。聞こえてくるのは、ICUの患者たちにつながれた無数のモニターが発するホワイトノイズだけだった。 

編集:北松克朗、久保信博