国内の新型コロナウイルスの感染拡大について、政府の専門家会議は29日、これまでの国の対策への評価を公表した。緊急事態宣言は感染の抑制に貢献したとする一方、感染のピークは4月1日ごろで、緊急事態宣言の前に流行は収まり始めていた。

 実際に感染した日は検査にかかる日数や潜伏期間を踏まえ、自治体に報告された日の約2週間前と推定される。

 専門家会議が推定感染日でまとめた患者数の推移をみると、3月10日ごろまでは全国で50人以下だったが、その後急増した。

 3月以降の感染拡大は、国立感染症研究所の調査によると、欧州などからの旅行者や帰国者を通じて各地に広がったウイルスによる可能性が高い。1~2月に起きた感染のウイルスは1月初旬に中国・武漢市で検出されたものと関係が深く、3月以降、感染は広がらなかったと推定されている。

 日本の当時の水際対策について、専門家会議の提言に詳しい分析はない。関西空港近くにある特定感染症指定医療機関のりんくう総合医療センター(大阪府泉佐野市)の倭(やまと)正也・感染症センター長は「3月中旬には海外からの持ち込みで広がったとみられる感染経路の追えない患者が増え、満床だった。感染が広がり始めた欧州からの便などの渡航制限は早くかけるべきだった」と指摘する。

 感染はその後どう推移し、減少に転じたのは何が影響したのか。

 多くの人が外出したと言われる3月20~22日の3連休を経て、東京都の小池百合子知事が「感染爆発の重大局面」と不要不急の外出自粛を要請したのは25日。この日の推定感染者は約500人。さらに増えて数日後にピークに達した。

 30日、お笑いタレントの志村けんさんが肺炎で亡くなったと報道された。ソフトバンクの子会社アグープによるスマホの位置情報データの集計をみると、このころ都内の主要駅で人出が大きく減り始める。

 入国拒否が73カ国・地域に広がることが決まったのは4月1日。推定感染日でみた感染者数はこの日ごろをピークに減少に転じ、緊急事態宣言でさらに減っていった。

 ネットを通じた社会調査に取り組む東京大の広井悠准教授(都市防災)は「私たちの調査では3月中旬ごろから高齢者を中心にプライベートな外出を控えるようになった。五輪の延期決定や志村けんさんの死去などもあり、徐々に人々の危機感が高まっていたのではないか」と話す。

 29日夜の会見で、専門家会議にデータを提供している西浦博・北海道大教授(理論疫学)は「3月25日以降、ほぼ毎日、東京都で何らかの対策が呼びかけられた。特定の業種の休業要請がどれだけ効いたかは、この後明らかにしていきたい」と語った。

 一方で、人工呼吸器を使う患者数は4月以降に急増し、4月下旬にピークに達した。医療現場が最も逼迫(ひっぱく)するのは感染のピークから約1カ月後で、早い段階での感染を抑える対策の必要性が浮かぶ。(合田禄、後藤一也、服部尚)