2011年、アラブ諸国で反政府デモを受けた政権崩壊や内戦が連鎖した「アラブの春」は、中東民主化の契機になると期待された。10年後の今、地域大国エジプトなどでは民主化運動が力を失い、権威主義体制が復活した。「アラブの春」当時の駐エジプト大使、奥田紀宏氏(68)は、米欧からの“お仕着せ”の民主化支援に対する反動が、民主主義への信頼を損ねる結果につながったと分析する。(前中東支局長 大内清)

 エジプトでは11年2月、約30年間続いたムバラク政権が退陣した。デモ拡大を受けて軍が政権を見限り、後ろ盾だった米国もそれを容認した。安泰とみられてきた同政権の崩壊は、騒乱が中東各地で増幅される契機となった。

 権威主義体制が揺らいだエジプトでは、国連機関や米欧からの民主化支援が流れ込んだ。なかでも米国からは共和、民主両党系の組織などが競い合うように資金を投下。選挙についての指導や啓蒙活動を通じて現地の非政府組織(NGO)や、デモを主導した若者グループなどとの関係を深めた。

 奥田氏は「そうした支援運動がエジプト政府を介さずに行われたことに、(ムバラク後を担った)軍主導の暫定政権は激怒した」と振り返る。民主化の名を借りた内政干渉だと受け止められたためだ。

 “民主化”の結果、エジプトでは12年に、以前は非合法だったイスラム原理主義組織、ムスリム同胞団が主導するモルシー政権が誕生した。急速な変化は既存権力層の反発を呼び、混迷が深まった。

 エジプトだけではない。11年に北大西洋条約機構(NATO)の軍事介入でカダフィ独裁政権が倒れたリビアでは、米欧が民主化支援を通じて安定化を図ると約束したにもかかわらず、結局は軍閥が割拠し、国家分裂状態に陥った。シリアでも米欧は反体制派を支援したが、内戦は長期化した。

 自らの民主主義モデルに強い自信を持つ米国や欧州諸国は「正しいことを教えるのに何の遠慮がいるものかとばかりに民主化支援活動をしていた」と奥田氏はいう。ところがその後、難民流入への反発からポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭するなど、米欧でも民主主義のあり方が揺れた。米欧の関与が低下し、中東では「米欧型の民主主義や多元主義への憧れがなくなっていった」。

 エジプトでは14年、前年のクーデターでモルシー政権を転覆させた軍が主導するシーシー政権が誕生。国民の多くは、同胞団などへの弾圧を歓迎した。同国が急速に権威主義へ回帰した理由の少なくとも一部に、「不安定な民主主義」より「安定した強権」を期待する当時の国民感情があったことは否めない。

 米欧の退潮による空白を埋めることを狙うのは、ロシアや中国だ。ロシアは内戦下のシリアやリビアに介入することで存在感を高め、中国も巨大経済圏構想「一帯一路」などを通じて中東への浸透を加速させている。

 「グローバルにみたとき、アラブの春は、人権や法の支配などへの疑問が大きくなっている現在の国際状況の淵源の一つになったといえるかもしれない」。そう分析する奥田氏は、国際秩序の原則となってきた価値観が揺らぎつつある時代だからこそ、「日本は政府も国民も、価値の問題で独自の立場から積極的に発信していかなければならない」と警鐘を鳴らした。