週末箱根に行ってきた。だいぶ前から決まっていた予定だが、緊急事態宣言がいまだに解除されていなこともあり、正直ものすごく迷った。だが、感染者の数もだいぶ減ってきたし、お天道様に祈るような気持ちで出かけることにした。時節柄か道路は比較的すいており、観光地はどこもかしこもガラガラだろうと想像しながら運転していた。そして箱根。着いた途端に私の心配は杞憂だったことを思い知らされた。私と同じように引きこもりの憂さを晴らそうと箱根に来た人が、いっぱいいたのだ。あたまの片隅にしこっていたある種の後ろめたさは一気に溶解、人々の間ではすでに緊急事態宣言は解除されているのだ。政府のいうことに従順に従う日本人のイメージとかけ離れた実態が、目の前に繰り広げられていた。

芦ノ湖畔の有名ベーカリーは、おいしいパンを買い求める長蛇の列ができていた。道路も県外ナンバーを含めひっきりなしに乗用車が行きかっている。それでも最盛期に比べれば何十分の一といった人出だろう。絶対数が多いわけではない。みなマスクをし、ソーシャルディスタンスをこころがけている。飲食店もショップも、三蜜回避に工夫をこらしている。いつのまにかウイズコロナは生活の中に浸透しているのだ。緊急事態宣言が発令されようがされまいが、あるいは解除されてもされなくても、市民生活のなかにしみ込んだ新しい生活様式はつづくだろう。予定では7日に首都圏の緊急事態宣言が解除されるようだ。解除されれば箱根にはもっと多くの人が訪れる。そして、それを機に感染者はまた増勢に転じるのだろうか、そんなことを考えながら穏やかな芦ノ湖の湖面を見つめていた。

旅行を終えて日常生活に戻れば、緊急事態宣言の解除をめぐって政府(官邸)と有識者会議の間に見解の相違があると、テレビのニュースが伝えていた。解除に慎重な専門家や学識経験者に対し、官邸は経済活動の再開に比重を移しているという、いつもの解説だ。なんといえばいいのだろう、メディアの聞き飽きた解説に何とも言えない虚しさを感じた。もっとほかに伝えることはないのだろうか。ワクチンが効いていつの日かコロナウイルスが絶滅する日が来るかもしれない。しかし、それまで我々はウイルスとともに日常生活を送るしかない。感染回避が大切なことは皆わかっている。毎日の感染者数や重傷者の数、病床のひっ迫状況も大事だが、ウイズコロナで生活を楽しむ人々の日常も捨てたものじゃない、なんとなくそんな気がした。