出自や経歴などからイランの最高指導者ハメネイ師に近く、同師の有力後継候補として名が挙がる。一方で、過去に人権侵害に関与した疑いも指摘され、国際社会から注がれる視線は厳しい。

 イラン北東部のイスラム教シーア派聖地マシャド生まれ。後に中部の聖地コムの神学校に移り、1979年のイスラム革命後の20代から首都テヘランなどで検事職を歴任。94年からは司法府の監査部門トップ、2014~16年には検事総長を務めた。16年にはマシャドの聖廟管財人(最高位)にも就いた。

 17年に大統領選に出馬するも現職ロウハニ大統領に敗退。19年にはハメネイ師から司法府代表に任命され、汚職追及や反革命分子の摘発などで存在感を高めた。最高指導者の任免権限を持つ専門家会議のメンバーでもある。

 88年に当時の最高指導者ホメイニ師(89年死去)の命令で、収監されていた反体制派支持者らが大量処刑された事案に深く関与したとされる。国連が「人道に対する罪」の可能性があると問題視するほか、人権団体からは「選挙に出るより、公正な裁判で責任追及されるべきだ」と批判を浴びる。19年には米財務省の制裁指定を受けた。

 イスラム法学者としての位階は「大アヤトラ」「アヤトラ」に次ぐ「ホジャトレスラム」に属するといわれるが、支持者の集会などでは既にアヤトラの呼称が使われることが多い。革命指導部と親密な高位法学者の父を持つ妻がいる。(テヘラン時事)。