大会組織委員会はきのう、五輪期間中に東京臨海部に設置される聖火台周辺への立ち入り制限や、観覧の自粛を呼びかけることを決めた。オリンピックの聖火台が「トーキョーウォーターフロントシティ」に設置されること自体初めて知った。本来ならオリンピックの興奮に沸くはずだったこの場所も、大会期間中は人影もまばらで閑散とした場所になるのだろう。中心部にある「夢の大橋」のたもとに聖火台は設置される。開会式で点火された聖火が場所を移す形で大会期間中に灯されることになっていたようだ。もっとも、立ち入り禁止は聖火台だけ。昨今は宣言が出ても人流は減らない。自粛要請だけでどこまで人出が抑制されるか不透明ではある。いずれにしても聖火は灯されるが、五輪の賑わいには火がつかない。バッハ会長は「今回の東京大会はいろいろな意味で歴史的な大会となる」と指摘する。人を排除するという点でも歴史的だ。

人出にこだわるのはIOCだ。TBSによるとバッハ会長は14日に菅首相と会談した際、「状況が改善した際には観客を入れることも考えて頂きたい」と要望したそうだ。組織委員会も首相も初めからそのつもりだろう。宣言期間を12日から8月22日までと長めにとったのも、観客復活の願いを胸の内に秘めているからだろう。可能性がないとはいえない。だが、無観客でも最善の努力は必要だ。五輪最大のスポンサーである米NBCは、高性能マイクを設置してアスリートの息遣いを拾う計画だという。観客の騒音がないだけに、臨場感は抜群だろう。日本の放送局に新基軸はあるか。そういえばきのう航空会社のANAがロボットの遠隔操作で、美術館などの施設に実際いるような体験ができるサービス「アバターイン」を今秋から始めると発表した。いま流行りのVRの応用だろう。これを使えば無観客の客席に陣取ることができる。五輪には間に合わないだろうが、無観客を逆利用する手はいくらでもある。

日本中の目がコロナの感染拡大防止、そのための人流抑制に向かっている。その結果だろう、あれもダメ、これもダメの大合唱だ。否定に否定が重なって世の中暗くなる一方。でもその割に人流は減らない。これが菅首相の支持率低下の原因のような気がする。五輪無用論を持ち出して中止論を説くひともいる。観客を入れろというひともいる。宣言下で街に出る若者は多い。価値観は多様化している。国別、宗教別、年齢層、男女の違い、多様化の要因は無限にある。対する感染防止は世界共通のワンイッシュー。多様化と折り合いをつけるのは極めて難しい。組織委員会並びに日本政府が問われているのは、感染防止だけではない。排除した人々の関心をどうやって惹きつけるか、それがあってはじめてオリンピック開催の意義が明確になる。期待しても無理だと思いつつ、歓喜の人並みに溢れるウォーターフロントシティを空想しながら、来るべきオリンピックに思いを馳せてみた。