自民党総裁選ではさまざまなテーマが俎上に登っている。その中の一つが年金改革だ。河野氏が持論の基礎年金の全額国庫負担を持ち出したことが議論に火をつけた。それはそれで結構なことだと思う。だがこの議論、おそらく誰がやっても現実は変わらないだろう。優れているが複雑になりすぎた現行制度を抜本的に改革することの難しさに、歴代内閣が直面してきた。言ってみれば現行制度そのものが改革を拒んでいるのである。河野説に対して残りの三人は声を揃えて「財源はどうする」と問い返す。ここにこの問題の“隘路”が集約される。安倍内閣は「全世代型」と称して改革を推進した。だが、財源に配慮してアクセルと同時にブレーキを踏んだ。結局アベノミクスは何の成果もうまないまま、“モリ・カケ・サクラ”に主役の座を奪われてしまった。個人的には河野説を支持するが、河野氏の突破力、破壊力をもってしても年金改革につきまとう壁は突破できないだろう。そんな気がする。

日本にはさまざまな経済モデルがある。年金には長年にわたって詳細に組み上げられた年金数理モデルがある。膨大なデーターを駆使して、GDP(経済成長率)の変化に対応して年金支給額がどう変化するか、見える化したモデルだ。見える化と言っても実数ではない。あくまでも推計値だ。まず、国民所得から割り出した勤続40年の夫と、妻と子供2人の標準世帯の年収を推計する。この年収で年金支給額(推計値)を割ったものを所得代替率という。年収に占める割合を算出したものだ。年金法によってこの率は5割を下回ってはならないことになっている。5年に一度政府は年金の財政見通しを発表している。実態は経済成長率の変化(0.5%、ゼロ、-0.5%など)に対応した代替率の推移を一覧できるようにしたものだ。経済がプラス成長なら代替率は上がる。マイナスなら下がる。単純なモデルだ。代替率を上げるために政府は必死になってGDPの成長戦略をつくっている。年金からみればそういうことになる。

問題はこの数値モデル、ごく一部の専門家の間で既得権益化していることだ。時の首相が「全額国庫負担する」と宣言しても、その時GDPがどれだけ成長するか、このモデルは弾き出せないのだ。GDPがマイナスになった時、このモデルは瞬時に所得代替率が低下するとアウトプットする。だが、基礎年金を全額国庫負担(現在は半分を負担している)した時、消費がどれだけ増えて、税収がどのくらい増えるか現行モデルは計算できないのだ。基礎年金を全額国庫負担すれば、サラリーマンが加入している厚生年金の拠出額も減るだろう。家計の負担が減る分消費は増える。消費が増えればGDPも増える。経済の好循環が始まるのである。だが、現状では誰もそこが計算できない。よって「財源はどうする」「将来世代の負担が増える」と財政健全論者が喜びそうなフレーズが巷に溢れることになる。かくして日本では新市場主義理論が巷にはびこり、二流国への転落の道をひた走ることになる。