[東京 14日 ロイター] – 政府は14日、次の日銀総裁に植田和男元審議委員を起用する人事案を衆参両院に提出した。物価が高騰する中、政府との共同声明見直しや黒田東彦総裁の下での大規模な金融緩和の検証・修正など課題は山積だが、市場では、学者出身の植田氏はデータを丁寧に点検し、漸進的な政策運営を行うとの見方が出ている。一方、長期金利のコントロールに懐疑的な植田氏の就任で、政策修正の際は長期金利の扱いが焦点になるとみられている。 

<共同声明改訂、ちらつく政府の思惑>

政府は植田氏の総裁指名と併せて、副総裁に氷見野良三前金融庁長官、内田真一日銀理事を充てる人事案を提示した。衆参両院の同意を経て任命するが、「植田日銀」を待つ課題は多い。

岸田文雄首相は、新総裁の正式就任後に政府・日銀の共同声明を修正すべきかどうか議論する見通しだ。政府・日銀の共同声明は2013年1月、第2次安倍晋三政権の下で策定された。消費者物価の前年比上昇率2%を「できるだけ早期に実現することを目指す」と明記され、黒田総裁は異次元の金融緩和を始めたが、10年を経ても物価目標の持続的・安定的な実現には至っていない。

早期達成を掲げたことが、硬直的な政策運営につながり、歴史的な円安を招いたとの批判は根強い。民間企業の経営者や学識経験者で構成する令和国民会議(令和臨調)は1月末、物価2%目標を長期の目標に位置づけし直すよう提言した。

日銀では、消費者物価指数の2%上昇という数値目標の変更には抵抗感が強い。新たに声明で賃上げを日銀の政策目標と位置付けることにも、中央銀行の本来的な使命ではないとして消極的な意見が出ている。

ただ、新たな共同声明を巡っては、政府側の思惑もちらつくようになった。政府・日銀が実質賃金の上昇に向けて一体的に取り組むことなどを明記するよう求める立憲民主党に対し、鈴木俊一財務相は10日の国会答弁で「賃金の重要性は岸田内閣も認めている」とし、新たな共同声明に賃金の記述が「含まれないということを言っているわけではない」と述べた。

仮に中小企業を含めた賃上げ率を金融政策の目標に加えた場合、例えば、目標の数字が3%とされれば、物価が2%を超える水準で推移しても、賃上げ率が3%に達していないことを理由に緩和政策を継続するという理論的な枠組みが構築される必要がある。

<「初陣」4月決定会合、いきなり正念場>

新総裁の任期は4月9日から5年間。4月27―28日の金融政策決定会合が初めての決定会合になる。この会合は「経済・物価情勢の展望」(展望リポート)を改訂する会合で、船出する植田日銀を巡り、2つの観点から注目が集まりそうだ。

1つは日銀の新たな物価見通しだ。データを重視する植田日銀が示す物価見通しは、これまで以上に政策修正観測を生みやすい。昨年のウクライナ侵攻以降、資源価格が高騰。日本のコアCPI(生鮮食品を除く消費者物価指数)の前年同月比の伸び率も2%を超え、昨年12月には41年ぶりに4%に達した。

日銀はこれまでCPIの見通しについて、輸入物価の押し上げ寄与のはく落や政府の物価抑制策で来年度半ばにかけて伸び率を縮小していくとの見通しを示してきた。黒田総裁の下で最後となった1月の展望リポートでは、物価目標の達成にはなお時間が掛かることが示され、見通し期間の最終年度に当たる24年度でも、コアCPIの見通しは1.8%、コアコアCPI(生鮮食品・エネルギーを除く消費者物価指数)は1.6%と、2%を下回った。

4月の展望リポートでは、新たに25年度の見通しが追加される。春闘の集中回答日を通過して、賃上げの持続性をどう判断し、物価上昇率の見通しにどのように反映していくかが注目ポイントになる。

長期金利の状況も課題となる。昨年12月、日銀はイールドカーブのゆがみを是正し、社債発行など企業金融を支援する観点から長期金利の変動幅拡大に踏み切った。

ただ、イールドカーブの中で10年金利が相対的に低く抑えられる状況は続いている。日銀は「もう少し様子を見る」とのスタンスを続けているが、足元で10年債金利は変動幅上限の0.5%まで上昇しており、社債発行が増える4月以降もゆがみが是正されなければ、長期金利の変動幅再拡大観測が高まる可能性がある。

<植田新総裁、性急な政策転換は見込みにくい>

しかし、植田新総裁は性急な政策変更は行わないとの見方が市場では出ている。

植田氏の審議委員時代に専属スタッフをしていた野村総合研究所の井上哲也・シニア研究員は13日、ロイターとのインタビューで、就任早々から「黒田総裁のように劇的、かつ強力な政策を打つということにはならないだろう」と述べた。今の経済状況は「おおむね平時」で、植田氏にはデータに即して政策を検討できる余裕があるとみる。

植田氏は次期総裁に就任との報道が出た10日、記者団に対し「現在の日銀の政策は適切であり、現状では金融緩和の継続が必要であると考えている」と指摘。学者生活が長かったため「いろいろな判断を論理的にするということ、説明を分かりやすくするということが重要」と話した。

野村総研の井上氏は、データを見極めた上で、賃金や物価の持続的な上昇という好循環が確認できなければ、現行のイールドカーブ・コントロールの副作用を踏まえ「新たな金融緩和の枠組み」に移行する可能性があるとみる。

<政策枠組み、焦点は長期金利>

大和証券の岩下真理・チーフマーケットエコノミストは「植田氏はYCCの中でも長期金利に疑問を呈している」と指摘。政策を修正する場合には長期金利の扱いが俎上に上がるとみている。ただ、政府との共同声明を巡る議論が先行することが想定されるため、4月の政策修正は難しいと話す。

植田氏は1998年から2005年までの審議委員時代、ゼロ金利政策、量的緩和政策を理論的に支えてきた。2000年8月のゼロ金利解除には反対票を投じたが、量的緩和の下での長期金利のコントロールには懐疑的な見方を示してきた。

昨年7月の日本経済新聞への寄稿では「長期金利コントロールは微調整に向かない仕組みだ」と指摘。金利上限を小幅に引き上げれば、次の引き上げが予想されて一段と大量の国債売りを招く可能性があるとした。

市場では、4月の決定会合で植田新総裁がこれまでの金融緩和の総括的な検証を指示する可能性も指摘されている。

(和田崇彦)