[東京 15日 ロイター] – 植田和男・共立女子大教授の日銀総裁起用は大方の予想を裏切るサプライズとなったが、岸田文雄政権としては、日銀の金融政策の予見可能性を高め、投機筋などによるマーケットアタックを防ぐ狙いがある。行き過ぎた円安による物価急上昇などの「副作用」に対応しつつ、経済の正常化を進めたいという政権の本音も透けて見える。

<アベノミクスの「副作用」、金融政策はナローパス>

岸田政権にはアベノミクスの副作用への対応が大きなアジェンダの一つとの認識がある。「アベノミクスでやったことはいい面もあるが、不安定要因が増している部分もある。岸田首相は全部それを引き継いで政権運営をしないといけない」と、ある政府関係者は話す。

政権内で意識されている副作用の一つが、生産性に与える悪影響だ。企業の資金繰りを支える半面、超低金利と円安のもとでしか生きられない企業を延命させ、経済活動が活発化しない要因となっている。さらに、このところ日本経済の不安定要因となってきたのが為替だ。昨年10月、外為市場で1ドル151円台まで円安が進行し、輸入物価の高騰で家計負担が急増した。

ただ、実際にどのような政策を選択し、どういう順番で対応していくかとなると難しい問題が山積している。例えば長期金利を0.50%で抑え込んでいることで「市場にゆがみが生じている」(メガバンク関係者)と言われるが、その上限を撤廃すれば、長期金利が急上昇して円債市場が混乱するだけでなく、円高を招くリスクが高まる。金利上昇が長期化すれば、政府の利払い費が急増して財政悪化が加速するという「最悪のシナリオ」に突入しかねない。

米国の利上げの行方次第では、米経済が景気後退に入り、日銀が超緩和政策を修正する「余地」がほとんどなくなる展開もあり得る。前出の政府関係者は、金融政策の今後について「一段とナローパスになってきた」と話す。

<「チーム植田」>

政府は14日、新総裁に植田氏、副総裁に前金融庁長官の氷見野良三氏、日銀理事の内田真一氏をそれぞれ充てる人事案を国会に提示した。

首相は15日の国会で、主要国の中銀トップとの緊密な連携や、内外の市場関係者に対する質の高い発信力、受信力が格段と重要となってきていると強調。「国際的にも著名な経済学者であり、理論・実務両面で金融分野に高い見識を有する植田氏が最適任と判断した」と説明した。

副総裁人事についてもチーム力を重視。今後、硬直化した金融政策をほぐしていくには、雨宮正佳副総裁とともに金融緩和策の立案に中心的な役割を果たし、「設計図」が全て頭の中に入っている内田氏が適任と判断。さらに、日銀の使命の一つである「金融システムの安定」についても、金融庁国際畑のエースとして知られた氷見野氏による危機対応を期待する。

現役の日銀幹部も「すばらしい人選だ」と歓迎。「みなさんすごいポテンシャルを持っているので、それをうまく組織の力としてトランスミッションを円滑にしていくというのが我々の役割だ」と気を引き締める。

ある財務省の有力OBは「よい結果に落ち着いた」と受け止める。日銀出身者が総裁となった場合、日本経済がうまくいかなくなった時の全責任を日銀が取らされるリスクがあったとし、今後、日銀の政策運営に世論の批判が出てくる時にも、植田氏なら理論的に説明できると話す。

<中立的な手法と予見可能性>

新総裁の選考では、大本命とされていた雨宮副総裁が昨夏から固辞し続ける中、政府は日銀OB、財務省OB、民間金融機関の関係者など幅広くリストアップし、絞り込みを進めた。学者についても、植田氏、渡辺努・東大教授、伊藤隆敏・米コロンビア大教授のほか複数人の名前が上げられていたという。

事情をよく知る関係者によると、政府は雨宮氏を年が明けても粘り強く説得していたものの、候補者リストの国会提示のタイムリミットも迫り、断念するに至ったという。学者の起用では黒田総裁とも近い伊藤隆敏教授を推す声も一部で上がったとされるが「首相はアベノミクスから徐々に離れたいというのが本音で、より中立的な手法を採用しそうな植田氏を選んだ」と話す。

植田氏とした決め手について、金融の実務と理論に明るく、米連邦準備理事会(FRB)や欧州中央銀行(ECB)など主要中銀のトップらが集う「インナーサークル」で発言力を持つことが「一つの大きな材料になった」(前出の政府関係者)という。内外の市場関係者への「発信力」についても、論理や理論に基づいて金融政策を運営していれば、次はこういう動きになると予見可能性が高まるとみる。

ある自民党のリフレ派ベテラン議員は「当分の間、財政出動しないといけないし、政策協調して日銀にも金融緩和をしていただくことになる」としつつ、異次元緩和の「出口」戦略については「アベノミクスをそのままにしていた雨宮氏よりも、新メンバーの方がフリーハンドになり得る」とみる。

<正常化へ、鍵は「受信力」>

もっとも、金融政策運営については「総裁がタカ派かハト派かという問題ではない。今の中銀は様々なデータに基づいて判断・行動するデータドリブンが主流。植田氏はその時々の経済・物価状況を冷静に分析しながら来るべき正常化に向けて舵を切っていくのではないか」(経済官庁幹部)とみる。

立憲民主党の野田佳彦元首相は8日の衆院予算委員会で、現在の金融政策に組み込まれているマイナス金利やイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)を「時限爆弾」に例え、それらを解除するには「赤いコードを切る、青いコードを切る、黄色いコードを切る、順番とか丁寧にやっていかなきゃいけない。その専門知識を持った人じゃなければいけないということは当然だが、そういうことをやることに対して、きちんと市場と対話できるコミュニケーション能力ある人も必要」と指摘した。

首相周辺の一人は、コミュニケーション能力について、首相はあえて「発信力」と「受信力」と言い分けていると指摘。「『コミュニケーション力』と言うと、イメージとして外への発信という意味で捉えられる可能性があるが、マーケット関係者が経済環境の何をポイントにみているか、そういう受信力も大事だというメッセージを出している」と語る。

(杉山健太郎、梶本哲史、竹本能文 編集:石田仁志)