野球のWBC=ワールド・ベースボール・クラシックで日本を3大会ぶり3回目の優勝に導いた栗山英樹監督が27日、東京 千代田区の日本記者クラブで記者会見を行いました。会見の質疑応答をたっぷりとお伝えします。

Q.日本代表監督としてのプレッシャーは?

A.今回はこれまでに『日の丸』を経験した野球界の先輩方の話を聞きに行きました。そういう先輩のアドバイスのお陰で、比較的、心の準備というか、こういうものなんだろうなというイメージを持って臨ませてもらったというのはすごく感謝しています。

ただ、できる限り僕の表情だったり、立ち姿だったりっていうものが、選手たちの不安をあおるというのは分かっていたので、本当に楽しく「いつもどおりやりますよ」という姿をなるべく見てもらうようには努力していました。

逆に言えば、最初の予選の4試合、さすがに日本のあのプロ野球陣を代表して戦う中で、予選落ちするわけにはいかないというところも含めてのプレッシャーというのはすごくありました。

僕も、日の丸を背負うのは初めてだったのですけど、戦う前にサッカーの森保監督とも話をしていて、日の丸を見て、試合が始まる時の国歌を聞いた瞬間に、スイッチが必ず入りますからと監督も言われていたのですけど。

僕にとって最初の試合の時の国家斉唱の思いっていうのは特別なものでしたし、なるべく人に分からないようにと思いながらプレッシャーというか、責任というか、絶対勝たなければいけない。

プロ野球の日本ハムファイターズで監督をやっている時も、ずっと思ってきましたけど、勝たなければいけないということが全然違うんだなというのはすごく感じました。

ただ、最後は勝ち切るなら選手だと思って、選手を信じるしかなかったので。そういう意味ではある程度、日本のトッププレーヤーが来てくれたので、そこは信じて試合に臨めたということがあったので。どのぐらいプレッシャーがあったかというのは表現が難しいんですけど、人生の中でこれから先、あんな感じに自分が追い込まれていくことはないんだろうなとは思っています。

Q.大谷翔平選手の招へい・起用法について?

A.今回代表の監督をやらせていただくということにあたり、個人的な思いは別問題として、日本の野球のために、日本のスポーツ界のために、何が何でも翔平に限らず、トップリーグ、メジャーリーグでやっている選手たちを何人か呼んで、みんなが夢を持てるようなチームを作らなきゃいけないというのは大きな使命だったので。僕の中では、かなり大きなものとして、それは捉えていました。

ただ、正直言うと、本当にそこに至る、今回、鈴木誠也選手がケガで参加できなかったんですけれど、ヌートバー選手含め、5人のメジャーリーガーが来てくれることになりましたけど、そこに本当にいろんなドラマがあって、ここで簡単に語り尽くせないような行ったり来たりの中で、最終的にそういうメンバーが決まっていく中で、特に翔平に関しては、近くでずっと話をしているということも、もちろんあったんですけど、僕以上に今、自分が野球界のために何をしなければいけないのかっていうのはすごく理解してくれていたので。

僕以上に野球界のことを考えて、自分が何をしなければいけないのかって考えてくれる選手だっていう、本当にそこは信頼があるので。そういう意味では本当によく二刀流で、この2年間、メジャーリーグであれだけの試合数をこなして、体的にはしんどいのは分かっていたんですけど、よく決断してくれたなあと思う。

それに対して何があったかっていうのはなかなかお話できないことがありますけど、単純に彼の使命感であったりとか責任感であったり、そういったものが突き動かして、今回は本当によくやってくれたなと思います。

Q.ほかの選手への気配りなどバランス感覚 求められた?

A.今回特にダルビッシュ投手が来てくれたことによって、すごくチームを引っ張っていってくれた、まとめてくれた。特に前半はダルビッシュ投手が話題も含めて引っ張ってくれたっていうことは、僕にとってはすごく大きかったです。

ただ思っていた以上に、そこはすごくファイターズ時代も、本当に話すタイミングだったりとか、人前で話をしていい時としない時とか、すごく丁寧に実はやってきたところではあるんですけど、今回は本当にトップ選手が多くて、勝つためにやっているという意識があったので。もちろんいろいろなことは考えましたけど、選手同士がうまくやってくれたなという感じがすごくしています。

バランス感覚だったりとか、選手の誠意だったり思いだったりというのが、平等感を持てるということも大事だったんですけど、チームが勝つために、それぞれの選手が何をしたらいいのかって、すごく使命を持って1人1人の選手がやってくれていました。

Q.決勝でダルビッシュ→大谷の投手リレーは?

A.まずはみなさんが、自分がジャパンの監督をやると想定してもらって、イメージじゃなくて、本当に自分がやると思ったときに、最後どう終わりたいかって考えたときにアメリカの地で終わる、それももともとメジャーリーガーたちがスター選手が出てくるというのはわかっていたんで。

それをやっつけるためには誰が抑えられるかと言ったら、たぶん最初に浮かぶのは、あの2人だと思うので。

「できるか、できないか」でなく「やるか、やらないか」ですので。

そこの実現に向かって、まっすぐ走るだけなんで。ただ最終的にそれが決まったのが決勝戦の練習場に行ってから、本人が投げられるかどうかって確認をして言っているので。最後までいろんな幅を持たせていって考えてはいるので。

それとやっぱり最後の決勝戦の、若いピッチャーどんどん突っ込んでいきましたけど、本当に1人1人聞いたら『足が震えたとか、全然覚えていない』とかそんな感じです。

マウンドに行ってしゃべってても、わかるんですよ。全然聞いてねえなみたいな。そのくらい緊張している中で、後ろにいけばいくほどプレッシャーがかかるので。最後、あの2人くらいしか超えられないかなって1点差。ただ、そこまでが僕の仕事だと思ったんで。

あの2人をマウンドにあげられて、やられても、そう思っちゃいけないんですけど、そこまでいったら本当に納得できるし。彼らがやられるなら、しょうがないという言い方はあれですけど、そのくらい信頼しているので。

不安もまったくないし、2人は自分のことより人のためとか日本の野球のためにと考えてくれていた、それは大きかったので。

あそこに送り出した時点で僕の仕事は終わったと思っていたんで。ただ勝ちきってくれたので感謝しかないですけど。

Q.村上宗隆を4番から外した経緯。告げたときの反応は?

A.戦う前、監督になった時にいくつか、やらなければいけないことの順番というのは、1番目からある中で、どういう形であっても何が何でも勝ち切る、日本の野球が世界一になるというのが1番目にある。

そのあとに僕がやらなければいけない使命みたいなものは、自分で勝手に決めていて。その中で、例えばダルビッシュ投手のようなとか、大谷選手のようなとか、鈴木誠也選手のようなとかっていう、そういう意味では、日本を代表するっていう選手たちが、この大会が終わった時に必ず何人か出てくると。そういう形が、これからの日本球界にとって必要なんだっていうふうな使命もあったので。

ピッチャーで何人か、野手で何人か、その筆頭があの若さで三冠王を取った村上選手だったと思います。

実際に11月に強化試合をやった時に、三冠王を取った後なので状態も良かったですし、彼の素晴らしさというのも、ずっと外から見ているのと、一緒にやってみて彼の狙い方だったり、野球に対する姿勢だったり、すべてにおいて素晴らしいものがあったので。

必ずどんな選手がいっぱい来ても、日本で4番を打てると僕は思って、毎日進めていて。

終わった時には全世界の人が『村上はやっぱり日本の4番だよね』という終わり方をできると思って前に進んでいたので。選手っていうのはなかなか春先って状態が上がるまでに、オフの間に進化させようと思ってフォームを変えるなど、いろんなことが起こるので、非常に難しい3月であるのは分かっていたんですけど。

思った以上に多分、村上選手も苦しんだというのがすごくある中で、僕は最終的に優勝した瞬間に4番にいればいいというところはあったんですけど、どういうふうに彼に刺激を与えながらチームが勝っていったら一番いいのかっていうのは、まあ毎試合考えていましたし、練習試合からも考えていたし。

最終的には、日本に帰ってきて別れる時に、村上選手に『宿題を持ったまま終われるよ』ということは伝えました。

もっともっとすごい、今回出たメジャーリーガーをすべてを超えていくために、一番になるために、『宿題があった方が人間は前に進めるからね』って言ったことがどう伝わったかは分からないですけど、そういう思いで別れた。本人も『次は必ず4番を打ちます』って言っていたんで。

そういう話はずっと大会中もしてきましたし、ただ1つだけ、すごく僕が感じていたのは、例えば大谷翔平選手だったり、吉田正尚選手だったりって活躍している選手が、あんまり映像残っていないような感じなんですけど、試合中に村上選手が打席を終えて帰ってきて状態が悪い時に、2人がバッティングを教えるというか『こういうふうな感じになっているんだよね』みたいな話をずっとしているんですよね。

ですから僕以上に、ああいう若い選手たちが世界に向かってもっと良くなるっていうことをみんなが求めているし、そういう選手が多くならなければ世界一にならないということも選手たちは感じながら戦っていたので。

僕が考えてやったことがいいか悪いかは分からないですけど、僕以上に彼らが僕がやろうとしていることを感じてくれながら前に進んでいたというのは事実だと思います。

その瞬間に、そういう光景を見ている時に、このチームは本当に世界一になれるんじゃないかと僕は思って戦っていましたし。

そういう経緯なので、細かく、なぜあの時に4番から代えたっていうのは、ちょっといろんなことがあるので話しづらいですけど。

1つ1つ村上選手には話をしながら、監督室に呼んだり、電話をしたり、ラインでメッセージを送ったりとかいう。

打順のことに関しては、僕が預かっている、いつもずっとやっている選手であれば、あえてこっちの意図を伝えないで怒らせるとか、いろんなやり方があるんですけど、今回はずっとやっている選手ではないし、きちんと意図というものも伝えながら前に進んでいったつもりです。

これも、そのやり方がよかったかどうかはちょっとわからないです、正直。もっと違うやり方もあったかもしれないという反省はありますが、ただ僕は、彼が必ず頂点に立つと思って信じていたのは、これっぽっちも疑っていないので。そこに対して何かお手伝いをしてあげたいと思っただけなのでね。

村上選手も結果的に自分がなかなか全試合で貢献できなかったという思いはあると思いますけれども、チームが勝ち切ったことに関してすごくほっとしているんじゃないのかな。

逆に言えば、あれだけの選手でも苦しむこともあるし、もっと高みを目指すために努力を続けなきゃいけない、進化しなきゃいけないんだという、非常に多分、彼が引退する時に『あの2023年の春先が今の僕を作ってくれました』って言ってくれることを信じています。

Q.準決勝 サヨナラのチャンスで代打の考えはなかった?

A.監督は自分がやりたいこととと、監督としてやらないといけないこと、いつも2方向に進んでいて、いつもそこのせめぎあいで、ここは勝つために自分の思いを走らせて良いときと、ここはやりたいけれども、勝つための確率を上げなきゃいけないというのはいつもせめぎあっていて。あのケースは1点差でこっちが守ってて、最後の攻撃行く前に、コーチに、悪いけどバントの準備。2人ランナー出て、ノーアウト一塁二塁だったら村上選手に打順がいくから、バントのケースが考えられたので、バントの準備してと、もちろん準備してます。

最終的にそういう準備をしながら、例えば前のバッター・吉田正尚選手へのフォアボールの出し方とか、どういうボールでフォアボールになってるか見ながら、最終的には自分で判断をするという。一番まずいのは、その準備ができてなくて、こっち準備させとけば、ここバントだったのにっていう、これだけは起こさない、それがまず仕事で。

準備ができてれば、その瞬間に、誰が見ても確率が高いものっていうのはあるんですけど、あのケースっていうのはもちろんいろんな考え方があるので。ただ最終的にはそういう準備をしながら、村上選手で勝負だと思ったのでそういう感じですね。

もし勝ちきるなら、物語が必要というか、こういう形のものが出てこないと優勝しきれないという、これもあってるかわからないですけど、僕の中のイメージがあるので。

Q.大リーガーの参加時期など 次回以降への課題は?

A.例えば今回、ダルビッシュ投手も最初から、こちらのお願いできてくれて、ふつうの調整で考えると、あの球数で試合に出すってことは、ふつうあり得なくて、1週間に1回投げながら球数を増やしてもらいながら試合に向かっていくっていうところで、一切、試合に出れずにいきなり、練習試合1試合だけ中日がやってくれましたけど、韓国戦に行かないといけないという状況の中で、本当に、最後謝りましたけど、本人調整きかなくて調子が上がらなかったのは間違いないです。

ごめんな、ごめんなっていうふうに謝りましたけど、そういうことがあるとメジャーリーガーは本当に参加しにくいので、そういうことに関しては大リーグのほうにお願いをしてもらうように日本野球機構に伝えましたし、そうすると、いまの形であるとアメリカに行っている選手はWBCに参加しにくくなる、もしくはぎりぎりまで向こうで試合に出て一発勝負で集まるってことしかできなくなってしまう。

それは日本のファンにとって、あまりおもしろくないことだと思うので。保険のこととかいろんなことがあって徹底的にやりあいましたけど、こうすればもっと良い大会になるのにとか、選手が出やすいということに関してはしっかり言っていきます。

Q.対戦チームが日本選手に憧れを持っていると感じたことは?

A.憧れを持ってというのはあんまり感じなかったですけど。日本の文化、日本野球の文化ですかね。礼儀正しさだったりとか、相手をきちんと認めるとか、そういったところに。チェコの監督さんとも話をしましたけども。野球があってよかったなと思ったんですよね。こうやって交流ってしていくのかなと思いましたし。

もともとヌートバー選手に参加してもらうときに正直すごく迷いました。このやり方がプロ野球にとって、外国人、いわゆるアメリカで育ったアメリカでプレーする選手が日本のチームに入ることがいいのか悪いのかすごい考えました。

ただ本当に偉そうな言い方ですけど、世の中、こんな時代にいろんなことが起こっちゃう、そこで子どものときに一緒にやった人たちがどこの国の人なんだ、友達だと思えば、なにか起こせるんじゃないかと、そんなことを考えながら。文句を言われても、どうしてもグローバル化したいっていうのは、そういうことで来てもらいましたけど。

ほかのチームの選手たちが、日本に対して憧れというよりも『お前らいいよねこんな環境でやれて、みんな応援してもらえるし』ってそれはすごく感じたので。その環境を僕は世界の人たちが『日本がいいね』って思ってもらえる環境を残さなければと思いましたけど。

Q.まもなくプロ野球も開幕するがエールを。

A.今回、準決勝、決勝を行った球場、マイアミの球場というのが、日本ハムが拠点とする新球場・エスコンフィールドに似ていると言われる方も結構いるんですけど、間違いなく僕の知っている限り、アメリカのすべての球場を見ても、今度、北海道に出来る球場というのは世界ナンバーワンの球場だと思います。

エスコンフィールド北海道

ここが起点になって日本の球場もどんどん変わっていくはずだし、野球場に限らずスポーツの競技場の意味がどんどん変わっていくきっかけになるのかなとは個人的には思っています。

あれだけの施設を作れば、選手もそれに対して応えなければいけないという責任感も生まれるし、ファンの人たちも喜んでもらえるというふうに思います。

そういう意味では、今回、選手たちの頑張りで、野球って面白いんだよ、すごいんだよっていうものを伝えてもらった選手たちが、シーズンでまた同じように、多分、多くの人が球場に足を運んでくださる中で、とにかくジャパンでやってくれたように、一番感動するのは、もちろん能力だったり、技術だったりするのはあるかもしれないですけど、一緒にやっていて、1人の人間が、すべてを賭けて全力を尽くす、泥まみれになってやり切るっていう姿がやっぱり感動を呼ぶと、戦っていて思ったので。

各チーム、12球団の選手が1人ずつ間違いなくチームにはいたので。そういう選手たちがプロ野球をまた盛り上げて、そういったものを伝えてくれるのかなと思います。

最後にジャパンの選手たちに、最初に日本の代表ができた時に長嶋茂雄さんが『あなた方は野球界の伝道師なんです』というふうなことをミスターが言われましたけど、そのことは改めて選手たちに伝えさせてもらいました。

あなた方が日本の野球を背負って伝えていってくださいということは選手たちには伝えたので、そういったことを受けて、あれだけ素晴らしい選手たちがすごいプレーを、そしてファンの方たちが喜んでくれる野球をみせてくれるというふうに信じています。

Q.新入社員などの若者のハートをつかむコツがあれば?

A.僕もその答えが分かったらすごく幸せだなと思います。ただ、僕がすごく思っているのは、僕らも若い頃『今の若者は』って言われましたし、多分が江戸時代も「今の若者は」って同じように言われてきたんだと思うんですね。

もちろん環境も違うし考え方も、例えばこういうSNSの時代だったりもしちゃうと思いますけど、誠心誠意、自分が思っていることを相手に正面からぶつかるっていうことができれば、時間がかかっても伝わるものは伝わるしっていうふうに僕は思っていて。今の若者だからっていうやり方をあんまりしていないんですね。

素直に今回もジャパンの選手たち、結構僕、やっぱりそうだなって自分でも思ったんですけど、映像を見て、選手と話すときに真正面にいって近づいて、真正面から話すっていうことをやっちゃうんですけど、結構選手からすると、うわっと来られるので面倒くさいかなとは思うんですけど、本当に正面から選手に自分がぶつかるっていう感覚で話をしたりすることがあるので。その作業だけは、自分でしていかないといけないかなと。自分の思いは自分でしっかりと正面から伝えなきゃいけないと思ってやっているんですけど。

Q.活躍するために必要なことは?

A.本当にこれも僕の感覚ですけど、いつも若い選手たちに言っているのはこれができるかな、できないかなっていう、できるかできないかって思った瞬間にアウトなので。やるかやらないかなので。決めるのはできるからやるんじゃなくて、やるって決めたらやると。

Q.帰国後の盛り上がりについては?

A.帰ってきてこんなに多くの人たちが野球を見てくださった。興味を持って下さったっていうのは本当に感謝しかないので。

これだけ野球を見てくれたんだっていう、もしかすると1人でも2人でも子どもたちが野球をやってくれるかもしれないなという、うれしさで捉えています。

Q.しばらく続きそうと思っているか?

A.そんな簡単なものではないので。これからペナントレースが始まって選手たちがああいう命がけのプレーを続けてもらわないといけないし。こんないい形が続くわけがないので。それは、まったくそうは思っていないです。

Q.今後については?

A.僕に何かの実績があるわけでもないし。良い選手だったわけでもないですから。もしこれをやってくれっていうふうに言われて、これからは恩返しなので、もちろん考えますけど。

野球に限らず、自分がとどまってはいけないというふうには思っているので、まだまだやらなきゃいけないことがいっぱいあるんで。自分の夢というか、やらなきゃいけないことに向かってはしっかりやっていかなきゃいけないですけど。

1つ、僕はもともと教員になろうと思って大学に行った人間なので、子どもたちに対して何かできることはやらなきゃなぐらいの感じしかないんで。誰も僕になにかやれと言わなければ、本当に何か探して一生懸命やっていくだけなんで。

先のことは考えてないです。

【NHK特設サイト】WBC2023

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