今国会の重要法案のひとつであるLGBT法が成立した。自公に維新、国民民主が加わって賛成多数で可決された。最大の焦点はトランスジェンダーの性自認。法律でどう表現するかが問題となり、最終的には維新・国民民主が主張したジェンダー・アイデンティティーに落ち着いた。意味は全く同じである。英語か日本語かの違いだけだ。英語にすることで法案がまとまる。摩訶不思議な国会というべきだろう。トランスジェンダー(T)を自称する人たちが反対している法案でもある。過去の経緯を含めて問題山積の法案だ。同性結、夫婦別姓、女性天皇制まで関係してくる。日本人の精神的文化、伝統的な価値観と真正面からぶつかる可能性もある。だが世の中は日進月歩である。いいか悪いかは別にして、どんどん古い習慣や因習、差別的な見方は否定される。LGBTもその一つ。シスジェンダー(Cisgender)としては、何が正しいのか、戸惑うこともおおい。
シスジェンダー(Cisgender)とは、性自認(自分の性をどのように認識するか)と生まれ持った性別が一致している人のことを指す。 例えば、出生時の体が「男」と診断され、自身を「男性」だと思っている人は「シスジェンダー男性」、出生時の体が「女」と診断され、自身を「女性」だと思っている人は「シスジェンダー女性」である。これ以外がトランスジェンダーということになる。ちょっと前まで「シス」はノーマルと表現された。そうするとTは「アブノーマル」となる。これは明らかに差別語だ。ちなみに、シス(cis-)はラテン語で「こちら側の」という意味で、トランス(trans-)の対義語となる接頭辞だそうだ。言葉としてはこちらの方がいい。差別をしないという意味でも時代にあわせてことばが進化している。個人的にはシスジェンダーだが、LもGもBも、差別したことはない。Bは経験値としてよくわからない面があった。
これまで実感として理解できなかったのがTだ。LGBT法案の喧騒のおかげで、多少その実態が理解できるようになった。政治的にも社会的にも問題含みの法案であることも理解できた。岸田首相は当初この問題の法律化に反対の姿勢を示していた。それが一転して積極派に変身した。それが政治であり、政局なのだろう。問題は性自認が「個人の認識」としてしか一般的に理解されない点だ。かくして女性として性自認する屈強な男性が女風呂、女性トイレ、女子更衣室に入ってくることに様々な問題が生じる。これに嫌悪感を感じるシスの女性は多い。だが、これを拒否することは差別になる。これは表面化している事例の一例に過ぎない。差別はあってはならない。憲法14条は「すべての国民は、法のもとに平等であって、人種、信条、性別、社会的身分制度又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定している。差別を排除するには多面的な努力が必要になる。だがLGBT法が切り出したのは一面だけだ。そこに問題が隠されている気がする。
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