By 門間一夫 みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト
[東京 3日] – 日本経済は転換局面にある。「デフレから脱却した」、「賃金と物価が上がるようになった」、「金利のある世界になる」、「失われた30年は終わった」――というようなことがよく言われる。このうち最初の三つは正しいが、最後の「失われた30年は終わった」は誤りである。何をもって「失われた」と言うかにもよるが、通常は1990年代からの経済成長の低さが念頭に置かれている。
<GDPで見れば「失われた40年」>
そのことに注目するなら、近年の成長率は「失われた30年」よりもさらに低い。コロナ禍前、すなわち2019年の実質国内総生産(GDP)を100とすると、本年7─9月のそれは101でほとんど変わっていない。その間の年平均成長率はわずか0.2%である。
政府や日銀は日本の潜在成長率を0.5─0.6%程度と推計しているが、この推計はかなり怪しい。実際には0.2%しか成長していないのに、人手不足が深刻化し賃金や物価が上がり始めたのだから、潜在成長率は0.2%よりも低い、マイナスかもしれない、と考える方が理にかなっている。
実際、GDPの過半を占める個人消費は19年の水準をいまだに回復できていない。5年経ってもマイナス圏から抜け出せていないのである。賃金や物価が上がるようになったとは言っても、それを「好循環」と称するのは現実を美化しすぎである。最近の賃金や物価の上昇は、高齢化による人手不足という新たなマイナス要因が追加され、「失われた30年」からもう一段のギアダウンへと向かう日本経済の悲鳴のようなものである。
<着実に強まる日本企業の稼ぐ力>
金融資本市場の関係者からみると、以上の記述は自虐的に感じられるかもしれない。しかし、GDP統計を素直に読めばそれが等身大の日本の姿である。実際、多くの国民の実感は、今述べたことと整合的なのではないか。物価の上昇で生活水準が低下したからこそ、「手取りを増やす」と言ってくれる政治家は頼もしく思える。先の衆議院選挙で与党が敗北した要因は政治資金問題だけではない。現状を変えてくれる可能性が少しでもあるなら、「そっちに賭けたい」と多くの国民が思うような経済状況なのである。
一方、そういう国民感覚から全く離れた世界を写し取るかのように、株価は上昇トレンドをたどる。コロナ禍前の19年、日経平均株価は年間平均で約2万2000円だった。最近の株価はその1.7倍以上となっている。株価は実質ではなく名目金額で表示されているので、物価上昇がプラスに効いているという面はある。しかし、その部分はわずかにすぎない。
実際、2010年までさかのぼると株価は約9000円だった。その時と比べれば今は4倍以上である。そして、その間は大半の期間において、賃金も物価も上昇していない。それでも株価は大幅に上昇したのである。1990年代から長期にわたり、途中までは株価も日本経済とともに低迷を続けた。しかし、株価は「失われた20年」で完全に終わったのであり、それ以降GDPとは全く異なる軌跡を描いて今日に至っている。
実はこれは不思議なことではない。株価は代表的な日本企業の価値を表すものであり、中小企業や家計も含めた日本経済の縮図ではない。代表的な日本企業は過去20年ほど海外展開を強化し、日本経済が成長しなくても利益の成長を実現できる体質に変わったのである。
株価が上昇している企業の多くは、日本国内においても、不採算事業のカットやM&A(企業の買収・合併)などでビジネスモデルを再構築し、日本経済の低迷とは無関係に自社の価値が高まるよう経営努力を重ねてきた。その流れに大きな力を与えたのは資本市場の改革である。この20年で株式持ち合いの解消が進む一方、外国人株主が増加した。日本企業の経営は、否が応でも株主目線に立たざるを得なくなったのである。
政府もその流れを後押しした。アベノミクスは異次元緩和の一本足打法であり、成長戦略である「第三の矢」は飛ばなかったと考える人が多い。しかし実態は逆だ。異次元緩和は10年以上続けてもたいした効果はなかったが、スチュワードシップ・コード(機関投資家の行動指針)やコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)の導入など、資本市場を強化する政府の取り組みは、着実に企業の改革を促す力になった。
23年には東京証券取引所が上場企業にさらなる改革を求めた。政府もM&Aに関する指針を大幅に改め、いわゆる敵対的買収がいつでもありうる市場環境になった。企業経営者が緊張感を持って改革を不断に進めるのは必至であり、株価の長期上昇トレンドは変わらないと考えられる。
<「二つの日本」の物語:その帰結が為替にも影響>
以上を踏まえると、「企業の改革が足りないから日本経済が成長しない」という見方は正しくない。「日本企業」の改革は進んでいるが、それと「日本経済」は最初から別のものである。より正確に言うと、成長しない日本経済に足を引っ張られないようにすることこそ、この20年ほど企業が模索してきた経営である。当然その中身は、海外ビジネスの拡大であったり、国内なら合理化や再編であったり、ということになる。
あえて単純化して言えば、成長しない日本から自らを切り離す覚悟を決めたからこそ、日本企業は成長するようになったのである。政府や東京証券取引所が企業の尻をたたけばたたくほど、その傾向はますます強まるという関係にある。アベノミクスの第三の矢が飛ばなかったように見えるのは、「日本企業の稼ぐ力」と「日本経済の強さ」を誤って同一視していたからである。
日本企業と日本経済の「二つの日本」がともに成長するには、国内での投資や賃上げが株主リターンを高める近道になる、と企業が思えるようなビジネス環境を、経済政策によって日本国内に作るしかない。魅力的なビジネスの「場」を政府がしっかり提供しさえすれば、あとは企業の尻など叩かなくても、リターン向上に目覚めた日本企業の行動が、その「場」である日本経済の実質賃金や経済成長を自然に押し上げてくれる。政府の成長戦略に求められるのはそういう視点である。
近年の株価上昇は、日本企業の改革マインドを証明するものである。あとはその改革マインドをいかに国内で使ってもらうかである。地理的な意味での「日本」には、人口の減少・高齢化という、リターンを上げるには絶対的に不利な条件がある。そのハンディをはね返すような振り切れた成長戦略がないと、せっかくの企業の力が国内では生きない。
新しいことに挑戦しやすくする規制改革は重要である。しかし、「失われた30年」の間もそれは散々議論してきたのだから、おそらくそれだけに頼るのは無理なのだろう。一方、政府主導の産業政策には批判も多いが、それを中途半端ではなく大胆に行えば世の中が動く可能性は高まる。台湾積体電路製造(TSMC)(2330.TW), opens new tabが進出した九州で、関連企業や周辺地域に経済効果が波及しているのは、その好例である。
エネルギーの安定供給も重要である。再生エネルギーへの取り組みをさらに加速させるなど、スピード感のあるエネルギー政策が求められる。人材の宝庫であることも、良好なビジネス環境として大事な条件である。資産運用立国もいいが、世界一の教育立国を目指し、日本を海外からも優秀な人材が集まる国にしたい。
それらが実現できないとどうなるか。「二つの日本」のうち為替に関係するのは「日本企業」ではなく「日本経済」の方である。日本企業が伸び伸びと成長し株価が上がり続けても、GDPの対象である日本経済が「失われた40年」へ向かうなら、大きな流れとしての円安は止まらない。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラム向けに執筆されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*門間一夫氏は、みずほリサーチ&テクノロジーズのエグゼクティブエコノミスト。1981年に東京大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。86年に米ウォートンビジネススクール留学。調査統計局長、企画局長を経て、12年に日銀理事(13年3月まで金融政策担当、以降、国際担当)を歴任。16年に日銀を退職し、みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミスト。21年4月から現職。