Natalie Obiko Pearson、Jessica Brice、Susan Berfield、Vernon Silver、松山かの子、Cindy Wang、Sinduja Rangarajan、Fani Nikiforaki
- インドの少女やアルゼンチンのモデル、ギリシャの母らを取材
- 越境に関する規制が最低限の卵子取引、グレーやブラック市場広がる
ヒトの卵子は貴重な資源として売買されている。オープンな市場もあればグレーやブラックな市場もあり、グローバル取引の規模は数十億ドル超に上るとされる。取引は利益をもたらすが、人々が払う犠牲も計り知れない。
卵子取引の実態を明らかにするために、われわれは卵子を売るよう誘われたインドの10代の少女や、アルゼンチン在住のファッションモデルで人気の高い卵子ドナー(提供者)、自身の卵子が盗まれたと警察から告げられたギリシャに住む母親、そして、米国でお金を稼ぐため自らを危険にさらす台湾の卵子ドナーらを追跡した。(文中敬称略)
10代の少女
「お母さんには内緒だよ」
インドにあるヒンズー教の聖地バラナシ。少女は早起きし、母親が仕事に出かけるのを静かに待つ。
街の向こう側にあるガラス張りのビルに入るクリニックの看護師から、午前7時までに到着するよう言われていたため、あまり時間はなかった。10代の彼女は体に素早くサリーを巻きつけ、いつもの丈の長いチュニックを着ている時よりも体の線が目立ち年上に見えるようにした。
2023年10月8日。彼女は通院にうんざりしていたが、これが最後になるだろう。10日間、こっそりと高級不妊治療クリニックに通い排卵誘発剤の注射を受けていた。自然な月経周期では通常、受精に備えた卵子が1個準備されるが、彼女の場合、注射した強力な合成ホルモンにより卵子は1個だけでなく、売れるほど採卵できる。ヒトの卵子は、世界の市場で高い値が付き、彼女の家族のささやかな財産のどれよりも高い価値のある隠れ資産なのだ。
今日、採卵の準備が整った。彼女の卵巣は小さな卵胞でいっぱいで、成熟した卵子を放出する準備ができている。
インドでは、卵子ドナーは法律上、23歳以上でなければならないが、この少女は7年生だ。
少女の唯一の身分証明書(ID)である州政府発行の学校成績表には、年齢は13歳と記載されているが、彼女も母親も実は年齢を知らない。出生届が提出されない新生児が何百万人にも上るインドでは、特に珍しいことではない。
法の目をくぐるためには、少女は大人の女性として登録しなければならず、それには助けが必要だ。警察の記録によると、祖母の隣人のシーマという名の女性がエージェント(仲介業者)としてその役目を果たした。全てはシーマが始めたことだと少女は言うだろう。シーマは少女に卵子を提供するよう勧誘。偽のIDの写真を撮り、結婚していて子供が2人いると話すよう少女を訓練した。クリニックの書類には自身の夫に少女の配偶者として署名させた。
1万5000ルピー(約2万7000円)も稼げると話したシーマを、少女は信用した。命という贈り物にしては微々たる金額だったが、少女にとって、欲しかったスマートフォンを買うには十分だった。誰にも言わない、母親にも言ってはいけないというシーマの忠告に従った。
この少女はバラナシの清掃員一家の出身だ。カースト制度により、バラナシの町のごみを片付ける仕事に従事している。母親は一家の大黒柱で、娘3人を育てるために医師のオフィスで長時間働いている。
ティーンエージャーの彼女は真ん中の娘で、家族の光のような存在。ウイットに富んだおしゃべり上手だ。化粧をするのが好きで、姉の携帯電話を借りてインスタグラムやスナップチャットに動画を投稿している。線路沿いの狭い集落にある自宅から離れて暮らす将来を思い描いている。
クリニックは、まるで別世界だ。そこにはお金と、お金で手に入る希望がある。ビルの壁には「家族を持つというあなたの夢をかなえます」と書かれた看板が掲げられている。院内には妊娠を望む何十組ものカップルが、卵子ドナーに支払われる金額の10倍、20倍もの大金を支払う覚悟で座っていた。
その朝、少女が到着すると、シーマはアニタという名の別の女性と一緒に待っていた。警察の記録によると、アニタは24歳と記載した偽の政府発行IDをシーマに手渡した。彼女たちは少女の額に赤いビンディを押し当て、首にはマンガルスートラと呼ばれるネックレスをかけて既婚女性の身なりを演出し、サリーを整える。仕上げに少女の腕に幼児を抱かせる。そして、シーマは少女をクリニックへと案内する。
少女はおびえている。書類にどう書かれていようとも、どこか変だと感じられる気配がする。頬は思春期らしい丸みを帯びている。彼女は1人の子供を抱いており、自宅にもう1人子供がいると主張しているが、超音波検査では、そもそも子供がいるのかどうかも疑わしいという結果が出る可能性もある。
少女の話をさえぎって話し続けているシーマに、医師はカウンセリング室から出るように命じる。医師は2人だけで話すことを望んだ。少女の心拍数は上昇する。医師は尋ねる。なぜ卵子を売るのか? 結婚してどれくらいになるのか? 子供は何人いるのか? 彼女の膝の上で幼児が身をよじる。パニックの波と戦いながら、少女は教えられた作り話を必死に語る。
心配する必要はなかった。彼女はすぐに手術室に連れて行かれ、麻酔をかけられた。意識が戻ると、看護師だけがいた。少女が帰ってもいいか尋ねると、看護師は了承した。
外ではシーマとアニタが待っていた。アニタが近くのATM(現金自動預払機)から1万5000ルピーを引き出すと、シーマが手数料を差し引いた。そして、少女は残りの1万1600ルピーでOPPO(オッポ)製の格安スマートフォンを購入した。
彼女のケースは、インドで毎年何万件も行われる他の採卵と同様にそこで終わっていたかもしれない。しかし、バラナシのあまり恵まれない地域では、隣家との間隔がほとんどなく、薄い壁が住居を隔てているだけで、ガラス窓のない開口部からは会話が漏れ聞こえる。隠し事は長続きしない。
バラナシではエージェント間の競争が激しく、採卵の数日後にはシーマとライバルのエージェントが路上で口論を始めた。 誰が最初に少女と契約を結ぶ権利を持ち、3400ルピーの手数料を受け取る資格があったのかを大声で言い争った。人だかりができ、その中にあの少女の家族もいた。
https://imasdk.googleapis.com/js/core/bridge3.679.0_en.html#goog_1768132761
世界で人口が最も多いインドでは、卵子の需要は尽きることがない。保守的な農村地域では、女性の地位は既に不安定であり、不妊は最大の恥とされる。 そこへ、不妊治療クリニックが救いの手を差し伸べるが、ドナーの健康を守り搾取を防ぐ法律もあまり整備されていない。ブルームバーグの森来実記者がリポート。
Source: Bloomberg
モデルのカレン
手術室から始まる旅
6月の肌寒い木曜日、カレン・ペッツはウーバーで手配した高級車に乗ってブエノスアイレスの繁華街にある不妊治療クリニックに向かう。オリーブグリーン色の丈の短いセーターを着て、お腹は膨らんでいる。「歩きにくくなってきた。内臓が卵巣で押される」と話す。
カレンは背が高い。「183センチメートル」だという。目は薄い緑色で、髪は長くブロンドだ。それが利点になるまでは高長身が嫌だった。数年前、チリでファッションモデルをしていた時、所属事務所はカレンの外見は「憧れの的」だと顧客に伝えた。他の女性が切望するものを備えていると。
クリニック「WeFIV」に入った時はまだ薄暗かった。カレンはドナーとして31歳で引退した。だが、カレンのようなドナーを切望するメキシコのカップルの要望を受け、米エージェントから例外的措置の依頼を受けた。カレンは卵子をもう1回提供することに同意した。この業界に一般的な規制はないが、卵子の提供は6回を超えるべきではないという点で医師の意見は一致している。今日はカレンにとって7回目となる。
カレンは受け付けを済ませ、個室に案内される。白いガウンに着替え、看護師が車椅子で迎えに来るのを待つ。その後、別の階に移動して「今朝は何か食べたか」などといった質問項目に答える。
これは1日に5、6人の女性に実施される日課だ。 週6日、午前中に行われる。大半の女性は将来の体外受精に向けて自分の卵子を採取するが、卵子バンクへの提供が目的のケースも増えている。欧州からの移民が多く、自国通貨が弱いほか、生殖関連法がリベラルなアルゼンチンは、国内外向けに卵子を提供する主要国だ。 大卒でルックスと運動神経も良くカリスマ性のあるカレンのようなエリートドナーの料金は2000ドル(約30万円)を超える。
「青天井だ。ドナーへの提示額でこれまでの最高は7万5000ドルだった」と、WeFIVの共同オーナーで主任エンブリオロジスト(胚培養士)のナタリア・バジルは語る。
クリニック到着から45分後にカレンは手術室に入った。スチール製カートの上に35センチの注射針が置かれている。麻酔が効いて意識を失う直前にカレンが見た最後の光景は、隅に置かれたプロジェクターから天井に映し出された星の爆発だった。
医師2人と看護師3人が慣れた手付きで処置を進める。壁に設置されたスクリーンには、右卵巣の経膣超音波画像が映し出される。2週間のホルモン療法でカレンの卵巣は4倍に膨らんでいた。十数個の暗いクレーターが点在する月の表面のようにも見える。
各クレーターは卵胞だ。WeFIVの主任医師が注射針を刺し、卵巣から一つずつ卵胞液ごと卵子を取り出す。画面からクレーターが消え、卵胞液は試験管に注入される。運び役の看護士が手術室の隣にあるラボに試験管を届け、エンブリオロジストが顕微鏡をのぞき込んで卵胞液の中の卵子を選別する。
看護師が試験管を一つ目のステーションに届け、手術室で別の試験管を受け取って二つ目のステーションに届ける。25分間、これを繰り返すうちにカレンへの施術は終了。卵子の数が最終集計されている間に別の女性が手術台に上がる。採取された卵子は43個だった。
ラボでバジルは「これは多い。そうなることは分かっていた。超音波画像で分かるが、個人の過去の記録から予想できることも知っていた」と語った。
カレンはホルモン剤に非常に強く反応する体質で、多くの卵子を生み出す能力がある。一般的な15-20個をはるかに上回る。「カレンが人気なのはそのためだ」とバジルは話す。
43個の卵子のうち16個は成熟が不十分になると予想されるので破棄される。残る27個は凍結され数週間保存された後、約8000マイル(約1万2900キロメートル)の大陸間の旅に出る。ブルームバーグ・ビジネスウィークの記者が、手術室から旅の終わりまでを取材する。
この卵子が目的地に届くまでの間に医師やエージェント、航空会社、弁護士、カウンセラー、運送業者、保険会社、製薬会社に収入が入る。カレンに支払われるのは3万5000ドルだ。
ギリシャの母
追跡コード
マリアにとって、警察官2人による警察署への呼び出し自体がすでに不吉な兆しだった。彼らと一緒にいる女性が心理学者だと分かると、最悪の事態に身構えた。
4人が席に着いた時、マリアが分かっていたのは、呼び出された理由が3歳になるわが子の幸せな出産をもたらしてくれた体外受精に関連しているということだけだった。
(マリアは仮名だ。彼女は自分の体験を話してくれたが、名前を伏せることを望んだ)
4年前、マリアはギリシャのクレタ島にある自宅近くの不妊治療クリニックを訪れ、卵子を採取した。卵子の提供が目的ではない。30代後半で喫煙者でもあるため、たとえその意思があったとしてもドナーに適していたとは言えなかっただろう。彼女は自分の子どもが欲しかっただけだ。ただ、国家組織犯罪対策課に所属する2人の警察官は、彼女はだまされていたと述べた。
クリニックのスタッフは卵子を6個採取したと彼女に伝えた。だが警察官によると、実際に採取された数はその2倍だったという。残りの卵子は別の女性に提供される受精卵のために使われていた。
この話にマリアはショックを受けた。彼女にとって「自分が別の子どもの母親かもしれない」ことを意味するからだ。
心理学者が同席したのは彼女がこの話を受け止める手助けをするためだ。マリアは疑問の渦に飲み込まれた。彼女の卵子から他に何人の子どもが生まれたのか? 1人か? 3人か? それともいないのか? またどうしてこんなことが許されたのか?
警察は他の女性も呼び出し、同様の話を伝えている。大半の女性はマリアと同じくクレタ島のハニア市内かその周辺に住んでいる。ハニア市は海辺の観光都市だが、 意外にも世界的な不妊治療産業の拠点となっていた。生殖補助に関する法律が厳格な国々に住む、親になりたい人々にとって、The Mediterranean Fertility Institute(地中海不妊治療研究所、MFI)は救いの手だった。しかし、子どもを産むためには卵子が必要だ。
警察はクリニックで押収された資料に氏名が記載されていた女性たちに確かめたいことがあった。それは、「卵子を一部提供することに同意していたか?」という点だ。
警察官はマリアに20年初頭にMFIのクリニックで何があったのかを尋ねた。マリアは卵子が採取された日を思い出し、自問自答する。
クリニックの記録で確認されたのは、マリアの体外受精には彼女自身の卵子と夫の精子が実際に使われていたことだ。この点に関し不正行為は見当たらなかったと警察官は言う。だが、残念なことに彼女の残りの卵子は別の女性に「寄付」されていたことが判明した。そして、クリニックの記録で確認できなかったのは別の女性がマリアの卵子を使って出産したかどうかだった。
この別の女性とは誰なのか? 警察官は知っているはずだが、ギリシャには卵子および精子の提供における個人情報保護法があるため、明らかにすることができないとマリアは確信している。警察官は名前を明かさなかったが、教えてくれたことがある。クリニックが受診時に女性に割り当てる追跡コードだ。卵子ドナーには6桁、体外受精の対象者には4桁のコードが付されていた。
マリアはすでに自分のコードを知っていたが、警察署を離れる前に別のコードが手渡された。それは彼女の卵子が提供された女性のコードだった。
台湾の「捐卵女生」
卵子330個、収入16万ドル
18年初頭、彼女は台湾在住の大学院生だった。性格診断では外向的、直感型で、フェミニスト。一人暮らしで、独立した生活を好んでいたが、自分が貧しいと感じていた。彼女は「CP(コストパフォーマンス)の値」が高い仕事を探していた。これは、台湾の若い女性が、より幸福になり生活を向上させるために計画的な選択をするときによく使う言葉だ。
彼女はインターネットで手早くお金を稼ぐ方法を検索した。最初に見つけたのはナイトクラブのエスコート。そして二つ目が卵子ドナーだった。米国で1サイクルにつき1万ドル。「ああ、これはかなりの大金だ」と彼女は思った。
この記事の取材で彼女が選んだ自分の名前は「アンバー」。現在30歳だ。翻訳者、ヴォーグダンサー、そして「捐卵女生」。これは、自分の卵子を米国で売る女性を指す台湾の言葉だ。こうした女性は何百人あるいは何千人もいるとされる。
卵子を買う人の多くは中国から来る。中国ではこうした取引が違法だからだ。間に入るのはリクルーターやエージェント、医師、看護師など。これを「市場」と呼ぶことにアンバーに異論はない。彼女は米国で11回のサイクルをこなし、約330個の卵子を売り、16万ドルを稼いだ。取引したのは4人のエージェント、4つのクリニック、2つの卵子バンク、少なくとも9世帯の中国人家庭だ。
5月、彼女はカリフォルニア州ダイヤモンドバーのカフェにいた。直近の卵子採取から5日後、黒いパンツとクロップトップ、ほつれたジージャンを着て、オレンジ色のリップをつけ、ヌードルを食べている。
彼女は快適そうに見える。実際、気分は良いと話した。毎日の注射やクリニック訪問、腫れた卵巣、むくんだ足、眠気や不安は今では記憶の中のことだ。彼女の卵子33個がラボにあり、1万6000ドルが彼女の口座に振り込まれている。今夜は友人とクラブに出かける予定だ。
卵子提供は台湾でも合法だが、行えるのは1回だけで、赤ちゃんが生まれた場合、報酬はせいぜい3000ドル程度だ。18年当時、アンバーにとって簡単な決断だった。「同じことをするなら報酬が高い場所を選んだ方がいい」。だが、最初の経験ではその他全てが彼女を不安にさせた。
ほかの卵子ドナーを知らず、米国に行ったこともなく、入国審査を通過するためにうそをつく必要があった。彼女はエージェントを信頼するしかなかった。エージェントは中国系米国人女性で、姓も知らず、直接会ったこともなかった。
子供が欲しくて卵子を買う人たちは、比較的背が高くスリム、高学歴で健康的な女性を望む。母親に似ている人を求めることもある。バイオリンやテニスをたしなむ人を好む場合もある。要求は厳密だ。アンバーは親しみやすく見える写真や、かわいらしく見える動画を提出した。遺伝子検査や血液・尿検査、身体検査や婦人科検査、心理評価を受けた。両親には何も伝えずに行動した。両親は承知しなかっただろう。
ロサンゼルス空港から1人で車に乗り、左の卵巣の上の皮膚をつまんで深呼吸し刺激薬を自己注射しなければならなかった時、膨満感や醜さを感じた時、諦めようとする考えがよぎった時、彼女は自分にこう言い聞かせた。「お金のためにここに来た。私にはできる」。そして医師が34個の卵子を採取したと言った時、アンバーはまたこれをやると決めた。採取の成功は次回もっと高い報酬を要求できることを意味した。「私の卵子は宝物みたいなものだ」。
それからの6年間、アンバーはトレードとトレードオフ(相反)について学んだ。ある時、誰かが彼女に言った。「君のやっていることは寄付ではない。ビジネスだ。そんなきれい事を言うな」。アンバーは答えた。「『そうだ。私のやっているのはビジネスだ。だからどうだというのだ』。注射のこと、採卵のこと、多くの不便さ、不快さ、それに痛みのことを考えるからだ」。
アンバーは誰でもエージェントになれることを学んだ。試験に合格する必要はなく、医療経験や法律を学ぶ必要もない。 エージェントの多くは元ドナーだ。米国では、たとえ中国系米国人のエージェントの一部が望まないとしても、彼らは公然と活動することができる。台湾では、卵子売買を仲介することは禁じられているが、若い女性とドナーを探している人を引き合わせ、当事者間の契約に名前が載ることなく手数料を徴収することはできるようだ。
また、ドナーによる卵子提供を6サイクルに制限する米国の業界ガイドラインはほとんど守られていない。クリニックが他の場所での採卵を追跡する方法はない。看護師が卵子提供の回数を尋ねると、アンバーは決まって4回と答える。すると看護師はガイドラインについて伝えるかもしれないが、「その後はクリニックもお金をもうけたいので、わざわざこの質問をすることはない」と彼女は言う。
彼女は自分には力があることを学んだ。そのため、彼女はさまざまなエージェントと仕事をしてきた。あるエージェントが、彼女が希望する料金でマッチングできる相手を見つけられない場合、彼女は別のエージェントに頼る。「お金があるところに私はいる」とアンバーは笑う。彼女の最高報酬額は2万5000ドルだった。
彼女の最高の投資先は暗号資産(仮想通貨)で特にイーサリアム。最悪の経験は22年6月の5回目の卵子提供で、44個で得たのは1万5000ドル。採卵後、彼女は横になって眠ることも困難なほどの痛みに襲われた。痛みのリスクは、採卵数が増えるほど高まる。卵子の数が15個を超えると、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)を発症するリスクが上昇する。30個を超えると、リスクはさらに高まる。アンバーはその心配はしていない。
米国にやってくる捐卵女生は皆、米税関・国境取締局(CBP)という障害となり得る当局と戦わなければならない。アンバーはこれに対処する方法も学んだ。若い女性たちは観光ビザでやってくる。入国管理局は、不審な点があれば誰でも追い返すことができる。
彼女たちの代理人は想定問答を使って指導する。航空券は自分で予約し、センシティブな内容のメールやウィーチャット(微信)アプリも完全に削除し、地味な服を着て化粧は一切しないようにと伝える。休暇の日程表を用意し、時にはホテルの予約までしておく。現地の連絡先を聞かれてもクリニックの住所は書いてはいけない。
しかしそれでも、彼女らは尋問のために「部屋」に連れて行かれるかもしれない。「税関の職員は『うそをつくな。あなたがお金を稼ぐために働きに来ていることは知っているぞ』と言うかもしれない」。アンバーによれば、全てを話してしまうドナーもいる。
アンバーは違う。過去に2回、部屋に連れて行かれたことがある。2回目の時、入国管理局の職員が彼女の携帯電話を30分ほどスクロールし、銀行口座の2年分の記録を調べた。彼女は、一緒にダンスや競技をしている友人を訪ねるため渡米したと話し、自分がヴォーグダンスしているビデオを見せた。職員は彼女を解放した。
【成長続ける350億ドル規模の市場】
地球上のどこかで、およそ15秒ごとに女性から卵子が採取されている。
大半の不妊治療では女性自身の卵子が使用される。少なくとも6%は採卵に同意した卵子ドナーによるもので、その多くは金銭的な見返りを受けている。
こうしたドナーは、世界的な生殖補助市場で求められている。親になりたい人々やエージェント、医師、そしてクリニックが350億ドル規模の市場を作り上げ、なお成長を続けている。ウォール街やプライベートエクイティー(PE、未公開株)投資会社の支援を受けるクリニックなども多い。
国際生殖補助医療監視委員会(ICMART)によると、提供された卵子で19年に作られた受精卵は世界中で12万個以上と11年のほぼ2倍に達した。だが実際の数字がはるかに多いことは確実だ。各国当局による監視が全て信頼できるとは限らず、また、インドの数字が含まれていないためだ。
インドの大手不妊治療薬メーカー、バーラト・セラムズ・アンド・ワクチンのデータ分析によると、同国では23年だけでドナーから提供された卵子を使用した体外受精が推定9万5000回行われたという。子どもを産もうとする高齢の女性が増えるにつれ、若い女性から採取された卵子の需要は増加する可能性が高い。女性が年齢を重ねるにつれ、卵子の数と質が低下する。
越境に関する規制が最低限の状況で行われる卵子取引は、オープンマーケットやグレーマーケット、ブラックマーケットで広がっている。ある国でルールや状況が変わると事業環境も変化する。
インドでは外国人による代理母の利用が禁止され、ウクライナでは戦争により不妊治療ツーリズムが終了、中国人カップルは複数の子どもを持つことは認められるものの他の女性の卵子を買うことは禁じられている。これを受け、子どもを望む人々は、インドの代わりにギリシャに、ウクライナではなくアルゼンチンに、中国ではなく米国に助けを求めている。
ドナーに関しては擁護する声はほとんどなく、ドナーの健康を守り搾取を防ぐ法律もあまり整備されていない。米国では食品医薬品局(FDA)によって、ドナーの感染症検査を含む身体検査と病歴の提出が義務付けられている。さらにクリニックは業界団体の米生殖医学界(ASRM)が定めたガイドラインを順守することが期待されている。
ガイドラインではドナーがメンタルヘルスのカウンセリングを受けることや全ての契約について独自の法的審査を受けることなどを推奨している。ASRMはまた、合併症のリスクを減らすため、ドナーの採卵は6回までにとどめることを提案している。
ホルモン刺激の短期的なリスクは不快感からまれに死に至るケースまでさまざまだ。一方、卵子提供を繰り返すことによる長期的なリスクは解明されていない。米コロンビア大学のロバート・クリッツマン教授は「数千ドルを稼ぐ女性から数百万ドルが生み出されている。調査が行われれば長期的に害があることが判明し、ビジネスと稼ぎが低迷するかもしれない」とし、長期的なリスクが不明なのは偶然ではないと述べている。
モデルのカレン
「あなたもやるべきよ」
カレンに卵子提供について教えたのは、同じようにモデルをしていた古い友人、ケニア・イオストだった。カレンは当時、チリの首都サンティアゴに住み、研究翻訳者の仕事をしていた。最近メキシコに引っ越したケニアとある町でばったり会った。
ロサンゼルスから戻ったばかりだと話すケニアは、卵子提供で6000ドルの報酬を得たと話し、「あなたもやるべきよ」と言った。
19年1月、カレンは26歳で初めて卵子を売るためにロサンゼルスに飛んだ。ケニアと同じ報酬を受け取ることになっていた。米国で有数の不妊治療施設チェーン、ハンティントン・リプロダクティブ・センター(HRC)が運営するクリニックを訪れた。
HRCでは45個の卵子が採取されたと伝わってきた。その後、1週間足らずでエリートドナーをあっせんするロサンゼルスのエージェンシー「グローイング・ジェネレーションズ」から、契約すれば1回の提供で少なくとも1万ドルを支払うとの提案を受けた。
グローイング・ジェネレーションズはカレンに子供の頃の写真と家族歴の提出を求めた。また、職業に関する目標、人生哲学、1日の過ごし方も知りたがった。カレンはあらゆることについて12ページ近くにまとめた。「このアンケートでは本音を書いた。外見だけでなく性格も考慮して選んでもらえそうで、私の価値が認められると思った」と話した。
カレンのプロフィルは19年2月に公開された。数日後、グローイング・ジェネレーションズに電話があった。関心を持った人がいたのだ。
10代の少女
疑わしい状況
インドのバラナシでは、エージェント同士の口論を耳にした家族の1人が、親戚にその話をし、さらに別の親戚に告げた。うわさは少女の母親の耳にも届いた。母親は少女が隠していた携帯電話を見つけ出し詰め寄った。少女は白状し、真実が明らかになった。
23年10月17日、少女の母親は警察にこの出来事を通報。捜査が開始された。
警察はすぐに問題のクリニックを特定した。それはインド最大の不妊治療チェーンの一つで、米国で最も有力な投資家の一部が支援していたノバIVFファーティリティーの支店だった。
ノバはアジア・ヘルスケア・ホールディングス(AHH)に所有されており、AHHは米国のPE投資会社大手TPGが管理している。ノバの成長を後押ししたのはゴールドマン・サックス・グループとベンチャーキャピタル大手ニュー・エンタープライズ・アソシエイツ(NEA)だ。
インドが、体外受精と卵子提供の分野で世界最大かつ最も急成長する半面、規制が緩やかな市場の一つとして浮上したことで投資ラッシュが起きた。
母親が当局に通報した3日後、警察と州の医療当局の検査官がノバに到着。 少女の診療記録を読んだ彼らは、そこで目にしたものに困惑した。
少女の保険書類には、別の患者の詳細が記載されていた。州に登録されていないラボで検査を受けており、子供が1人いると記載された書類もあれば、2人と書かれた書類もあった。彼女は英語で書かれた宣誓供述書に署名したが、ヒンディー語しか話せない。「これも疑わしい状況だ」と、ビジネスウィークが入手した機密検査報告書には記載されていた。
検査官は、クリニックの医師2人が出産経験の有無を判断できなかった理由についても疑問を呈した。帝王切開では傷跡が残り、経膣分娩(ぶんべん)では通常、瘢痕(はんこん)組織などが残る。報告書は「この状況は、プロセス全体の質に疑問を投げかける」とし、未成年者からの卵子採取はノバIVFの従業員と医師の「積極的な役割」なしには不可能だったと論じた。
翌月、警察はシーマとアニタ、そして共犯の男3人を加えた5人を逮捕。貧しい女性や少女たちを卵子売買に誘い込んだ犯罪集団の壊滅を誇らしげに報道発表した。 しかし、それはほとんど関心を引くこともなく、国内最大の英字新聞が12面で簡潔に報道しただけで、少女の卵子を採取したクリニックを明らかにすることを警察は拒否した。
逮捕の際、警察は容疑者3人の携帯電話を押収した。捜査を指揮する女性警察官のみが勤務する警察署で、副警部がワッツアップのメッセージを開き、スクロールを始めた。
ギリシャの母
女性たちの「生産ライン」
新型コロナウイルスの感染が広がり始めた20年初頭、マリアはハニア市内のクリニックまで車を飛ばし卵子を採取した。
マリアにとって3回目の体外受精に向けた試みだった。最初の2回は失敗したが、マリアと彼女の夫は幸運を感じていた。親になりたい人々が世界中から集まるクリニックが自分たちの住む町にあったからだ。
MFIの創設者はギリシャ人の婦人科医で、カンファレンスでの講演やフェイスブックでエンブリオロジストの人気化などを通じて不妊治療の専門家として名をはせた。数年前にはギリシャ人のが科学ディレクターとして加わり、事業拡大に貢献した。
代理出産や卵子提供について依頼者にアドバイスを行うオーストラリアの機関でグローバルディレクターを務めるサム・エバリンガムは「彼らは非常に多くの症例を引き受けていた」と話す。
エバリンガムは個人的にも職業的にも世界的な不妊治療産業の移り変わりを目の当たりにしてきた。家族も子どもを望んだため、彼はインドに渡り、11年に代理母2人と卵子ドナー1人(少なくとも彼はそう聞かされた)の協力を得て2人の娘を授かった。インドは当時「ゴールドラッシュ」だったとエバリンガムは振り返る。安価な不妊治療サービスを提供するクリニックが乱立していたのだ。
ただ15年、インドでは外国人のための代理出産が禁じられた。タイでも禁止され、その直後にカンボジアが続いた。
インドで禁止される前年に、ギリシャで非居住者による国内の代理母を通じた出産が認められた。ギリシャは生殖ツーリズムの目的地として自国を位置付け、ビーチリゾートと合わせてコストが比較的低い不妊治療を売り込んだ。
17年までに、他国から訪れる親になりたい人々が増え、ギリシャのクリニックを使い始めた。エバリンガムによると、MFIは「群を抜いて人気があった」という。ハニアには豪州だけでなく、インド、イタリア、米国からも人々が押し寄せた。
マリアが卵子採取のためにクリニックを訪れたこの日、待合室ではコロナ対策で人数制限が設けられていた。スタッフの指示により、マリアは数週間にわたって検査や診察を受けていたが、その中には嚢胞(のうほう)性線維症の遺伝子検査など不可解なものもあった。
最初に渡された同意書をマリアは鮮明に覚えているという。余った受精卵の提供を望むという欄があったが、チェックを付けなかった。また、この同意書には卵子に関することが何も書かれていなかったとマリアは話した。(当時クリニックでジュニアエンブリオロジストとして勤務していた女性によってMFIの同意書に関するマリアの供述は裏付けられている)
マリアは麻酔から目を覚ました際、採卵が成功したと告げられた。彼女の卵子は受精し、受精卵となった後に凍結され、数週間後に胚移植が実施される予定だった。
ある春の日、マリアはクリニックを再び訪れ、女性たちの「生産ライン」に加わった。彼女がもし知らないうちに自分の卵子が提供された女性とすれ違っていたとすれば、この時だっただろう。
体外受精の受診者は6人ほどのグループに分けられた上で個々の手術室で次々と胚移植を受け、その後はベッドが並んだ隣の部屋で15-20分間休憩した。その部屋は非常に混雑していて、マリアが手術室から出てきたときにはベッドに空きはなかった。受精卵が着床することを願いながら他の女性たちの隣の椅子に腰を下ろした。
マリアのグループが終わるや否や、すぐに別のグループがやってきたという。
【試験管内で】
「In vitro(イン・ビトロ)」という言葉はラテン語で「試験管内で」を意味する。
1978年、英国で世界初の体外受精による子どもとしてルイーズ・ジョイ・ブラウンが誕生した。生物学上の両親の卵子と精子を使いペトリ皿での受精を経てたどり着いたルイーズの誕生は出産の方法を考え直すきっかけとなった。
その後、豪州の研究者によって卵子を作ることができない女性のための解決法が考案された。早発卵巣不全となった25歳の女性にホルモン剤を投与し、子宮内膜を妊娠に適した状態に整え、女性の夫の精子と他の女性から提供された卵子によって作られた受精卵を移植した。83年12月、この女性は提供卵子によって授かった世界初の子どもを出産した。
当時、研究者たちは卵子を凍結保存する実験を開始したが、成功率は低かった。ヒトの卵子は90%が水分のため、冷凍すると氷の結晶が卵子内部にある染色体の繊細な紡錘(ぼうすい)体に損傷を与える可能性があるためだ。体外受精が主流となっても、凍結卵子を使用した出産はその後20年間でわずか数例にとどまった。
2000年代初めまでに「ガラス化」と呼ばれる新たな技術が生み出された。卵子を急速に凍結させ、液体を結晶化させることなくガラス状の固体にするものだ。12年には不妊治療関係者を代表する世界最大規模の2団体がこの技術を支持した。
ガラス化は急速に普及した。米疾病対策センター(CDC)によると、ドナーから提供され凍結された卵子または受精卵を使った不妊治療の件数は12-21年に米国だけで2万6700件と3倍に膨らんだ。
現在では、凍結した卵子を大陸間で輸送し、その後受精を経て移植することが可能になっている。
10代の少女
100ルピーで偽の身分証明書
副警部がワッツアップのメッセージをスクロールすると、偽のIDが次々に表示される。この10代の少女は特殊なケースではなく、書類を偽造したドナーを使っていたのはノバだけではなかった。
世界で人口が最も多いインドでは、卵子の需要は尽きることがない。不妊治療クリニックは少なくとも1400カ所登録されており、実際にはさらに数千のクリニックが営業している可能性もある。最大手チェーンのインディラIVFでは、年間約4万5000サイクル実施しており、これは体外受精発祥の地である英国の年間件数の半数強に相当する。
また、ドナーから提供された卵子が胚移植で使用される割合は世界全体ではごくわずかだが、インドでは10人以上の医師が、自らのクリニックでは30%から50%に上ると述べている。
文化的なニーズがこのビジネスを後押しする。インドの女性は子どもを産むことへの強いプレッシャーにさらされている。結婚式では司祭が花嫁に8人の息子ができるようにと祈りをささげる。
結婚すると容赦ないしつこい催促が始まる。親しい間柄のプライベートな問題について誰もが口出しする権利があると思っており、「良い知らせはいつ持ってきてくれるのかい」と親戚のおばさんやいとこ、近所の人々、店主、タクシー運転手などが口々に尋ねる。 やがて、質問は非難へと変わっていく。
保守的な農村地域では、女性の地位は既に不安定であり、不妊は最大の恥とされる。 そこへ、不妊治療クリニックが救いの手を差し伸べる。
09年、米ニューヨークに拠点を置くPE会社であるGTIグループが、病院チェーンとしてノバを創設。翌年にはNEAが投資した。11年には、ノバは不妊治療分野に参入し、クリニックを3カ所開設した。12年には、ノバは現在IVIRMAと称するスペインの有名な不妊治療チェーンと提携。 同年、ゴールドマン・サックスが投資を行い、筆頭株主となった。
投資家たちは拡大を推進。数年でクリニックが5カ所から20カ所にまで増えた。IVIRMAのグローバル最高科学責任者(CSO)で、インドに定期的に出張し臨床基準を評価したフアン・ガルシアベラスコは、エンブリオロジストの育成が間に合わないと警告し、事業拡大を阻止しようとした。「拡大へのプレッシャーは大変なものだった」と振り返るベラスコは、「何か問題が起きた場合、ブランドにダメージが及ぶことを懸念していた」と明かした。
19年までに、ノバは損失を出し、IVIRMAとの提携は解消された。ゴールドマンや他の投資家は現オーナーであるTPG傘下のAHHに売却した。新たな最高経営責任者(CEO)がコスト削減に取り組みノバの業績を黒字化させた。ノバのクリニック数は5年間で3倍に増え、70カ所余りにまで拡大した。その中には、バラナシのにぎやかな交差点にある5階建て商業ビルのクリニックもあった。
クリニックの増加に伴い、子供を授かりたい富裕層の切実な願いと、貧しい女性の金銭的に切実な願いをつなぐエージェントのネットワークも広がった。
アニタは警察に、不妊治療クリニックで清掃員として働いていた際に、卵子を売る女性たちが「高額収入」を得ているのを目にしたと供述。そこで彼女は自分の卵子を売った。そして、他の女性たちにも卵子を売るよう説得し、仲介料を受け取るようになった。シーマも同様に、卵子ドナーからエージェントに転身。シーマがあの10代の少女を勧誘して、IDが必要なことが分かると、アニタは「心配ないから、少女の写真を私に送って」と彼女に言った。
アニタは警察に、偽のIDの入手先として、インターネットカフェで働く若い男がいると話した。その男は、アニタの以前の偽造業者よりも低価格で仕事を引き受けていた。警察の記録によると、尋問で男は、アニタが偽のIDに100ルピー、偽の宣誓供述書に250ルピーを支払ったことや、アニタが当初は数日おきに1、2枚の偽造カードを求めていたが、すぐに急増して1カ月で100枚に上ったことも明かした。
逮捕から1カ月後の23年12月、ノバはヒトの卵子売買における偽造IDの増加について「深く懸念している」とする書簡を保健省に送付。「不正IDによる卵子提供の悪用は、倫理的にも法的にも重大な課題を提起している」とノバは警告し、リスクは組織的なものだと指摘した。
少女の事件の逮捕者たちの供述で、少なくとも6人のエージェントがバラナシの各地にある不妊治療クリニックにドナーを仲介する非公式ネットワークの一員だったことが明らかになった。 そうしたクリニックには、インドの30億ドル規模の複合企業CKビルラ・グループ傘下の不妊治療会社であるビルラ・ファーティリティー&IVFや、欧州最大のPE会社EQTが経営支配権を持つインディラIVFも含まれていた。
ビルラ・ファーティリティー&IVFはコメント要請に応じなかった。インディラIVFは「言及された疑惑の行為には一切関与しておらず、逮捕された人物とのつながりもない」と電子メールで回答し、そうした不正行為を防ぐための厳格な手順を定めているとした。ゴールドマン・サックスとNEA、EQTはコメントを拒否した。
ノバはビジネスウィークに対し、地元当局に協力し、逮捕者が出た卵子バンクとの関係を断ったことを明らかにした。また、州の医療当局の報告書にある「医師であれば未成年であることを判断できたはずだ」という主張については「不可能な任務だ」と一蹴した。TPGはノバにコメントを委ねた。
「偽の公文書の識別は、当社の専門外だ。われわれが不正行為の影響を受けたのは遺憾であり、実質的には当社は被害者だ」とノバは主張した。
同社は8月に保健省に再度書簡を送り、より強力な監視体制を導入するよう求めたが、返事はなかったという。ビジネスウィークからの複数回の取材要請に対して、保健省は回答しなかった。
モデルのカレン
5回流産経験した夫婦のために
「親愛なるカレンへ」。手紙の書き出しはこうだった。「豪州のメルボルンに住むポールとアリス・ケンプトンです」。
生まれつき卵巣がないアリスは理想的なドナーを見つけた。19年5月、会ってみないかと手紙で提案した。ドナーと被提供者が会うことはめったにないことだ。
2人はともオレゴン州ポートランドの不妊治療クリニック、ORMファーテリティに行く予定だった。アリスは体外受精治療のため、カレンは卵子採取のためだった。
8月にカレンとアリスは地元のレストランで会って何時間も話し、親交を深めた。
アリスは心配だった。ポールは前月にインフルエンザにかかり40度を超える高熱で入院。まだ回復していなかった。彼女はクリニックに尋ねた。卵子を凍結し、彼の体調が回復するまで精子採取を待った方が良いのではと。
クリニックはポールに男性用不妊治療サプリメントの摂取開始を求めた。アリスによれば、精子を分析後、「全てうまくいく」とケンプトン夫妻に保証したという。
採卵は驚くほどうまくいき、51個の卵子が得られた。 うち19個が順調に胚に成長した。
胚は約5日間培養されて、いわゆる胚盤胞と呼ばれる状態になる。その後、新鮮な状態で移植されるか、遺伝子検査のため凍結する。ケンプトン夫妻の場合は後者だった。
5日間、現地に滞在していたケンプトン夫妻は医師の助手から電話で衝撃的な知らせを受け取った。胚はどれも生存できなかったというのだ。
アリスは、死にそうなほどの喪失感を味わった。泣き叫んだ後、20時間にわたってノートパソコンで医学論文を読みあさり、一つの結論に達した。「もちろんうまくいくはずがなかった。ポールはあの精子をバーベキューのように長時間焼いていたようなものだったのだ」。
クリニックは全てのプロセスを無償でやり直すことに同意した。カレンも無償で再度の卵子提供を申し出てくれた。
19年12月、カレンはケンプトン夫妻のために2回目の採卵を受けた。36個の卵子が採取され、19個の胚が作られた。うち4個が遺伝子検査を通った。
5回の流産を経験したアリスは、胚が1つだけでも生き残ってくれることを祈った。
ギリシャの母
盗まれる卵子
ダイヤモンドが埋まっている石を宝石商に持っていくとしよう。内部解析してもダイヤの個数は分からない。宝石商は工房に姿を消し、その後、良い知らせとともに現れる。「ダイヤは10個もありましたよ」。あなたはその数を信じざるを得ない。だが、実際にはもっと多かったかもしれない。
麻酔をかけられている間の卵子採取も同様だ。ギリシャの警察官は「医師が卵子を採取するときはその医師しかいない」と話す。麻酔から目を覚ました女性は採卵数を疑う立場にない。そして時として、クリニックはこの状況を悪用してきた。
30年間にわたり、卵子のやり取りは盗難と隣り合わせだった。そして同じく30年間にわたり、このような脅威に対する法整備などが不十分であることがさまざまな管轄区域で判明した。
1995年、米カリフォルニア州のオレンジ・カウンティ・レジスター紙の調査により、カリフォルニア大学アーバイン校の不妊治療クリニックで、受診者の同意なく卵子が採取され、他の女性の妊娠に使用されていたことが明らかになった。
カリフォルニア大学はその後起訴された訴訟の和解金として2400万ドル余りを支払ったが、当時、カリフォルニア州にはクリニックの卵子盗難疑惑を裁く法規範が存在しなかった。(その理由の一つとして、卵子の価値が明確に定義されていなかったことが挙げられる)その後、同州はヒトの卵子の盗難を違法とする法律を制定した。
イスラエルでは、ある医師が96-99年の間に体外受精の受診者から同意なく数百個の卵子を採取したことを認めた。この医師はたった1人の女性から232個もの卵子を採取し、他の33人の女性に使用したという。医師の行為を禁じる法律は特になかったが、懲戒処分により医師免許が2年半にわたり停止された。
現在、この医師は「The World Congress on Controversies in Obstetrics, Gynecology and Infertility(産科・婦人科・不妊症での論争に関する世界会議)」という年次カンファレンスの創設者となっている。
イタリアでは、ある女性が医療処置中に同意なく卵子を採取されたとして警察に駆け込み、2016年に1人の医師が逮捕された。彼は有罪判決を受け6年半の刑期を言い渡されたが、健康上の理由から自宅軟禁が認められた。
クレタ島ではマリアの卵子が採取される1年前に、MFIで問題が起きる可能性を規制当局が認識していた。
当局が動いたのは19年。苦情を受けて医師2人と弁護士1人をMFIクリニックの調査に向かわせた。エマニュエル・ラスカリディス弁護士によると、調査ではクリニックの代理出産プログラムに関連するファイルが検査されたが、最終的には「クリニックにある受診者のファイルはこれが全てではないことを確信した」という。調査チームは不適切な記録の管理を理由にMFIのライセンス停止を2対1で決定した。
だが、ライセンス停止は執行されなかった。20年秋にはギリシャ議会が監督当局の廃止を決定。21年にギリシャ政府は当局を再構成し、新たなトップとしてアテネの著名な不妊治療の専門家、ニコラオス・ブラチニスを任命した。彼はMFIのライセンス停止に反対した唯一の調査官だった。
MFIの門戸は今もなお開かれたままで、訪れる女性は増え続けている。
「捐卵女生」たち
卵子の値段
アンバーが採卵で得た金額は最大で2万5000ドルだ。米国では若い女性が自分の卵子を売ることが数十年前から可能だったが、常に大金を得ていたわけではなかった。この点について、多くの卵子ドナーはリンジー・カマカヒをいう女性に恩義を感じているはずだ。
1984年、自分以外の女性が提供した卵子の使用を支援する施設が米国内で20カ所に満たなかった時代、採取された卵子の価格(業界ではCompensation=報酬という言葉が好んで使われた)はおよそ250ドルだった。これが87年には500ドル、93年には約1500ドルに値上がりした。それでも買い手にとっては、お買い得だった。
99年、複数の一流大学の新聞に、身長5フィート10インチ(約178センチ)で運動神経抜群、SAT(大学進学適性試験)で1400点以上を獲得した女性を募集する広告が掲載された。該当者の卵子には5万ドルが支払われるという。
その頃までに、ASRMはこの数百万ドル規模の市場を考慮し始め、ドナーに支払われる金額は「強制や搾取に当たるほど高額であってはならない」との見解を示した。
ASRMは2000年、会員に対し、報酬はドナーのエスニシティー(民族性)や性格、実績に対して支払われていると示唆されるほど高額にすべきではないとアドバイスした。さらに公平な支払額を決めるために、奇妙な計算を行った。
それは精子ドナーが1時間で得る金額に、卵子ドナーに必要な時間数を乗じ、追加の身体的および精神的負担を考慮した恣意(しい)的な金額を加えた。その結果、「5000ドル以上の金額には正当性が必要であり、1万ドルを上回る金額は妥当な範囲を超えている」という結論に至った。
07年、カマカヒは複数の卵子を売った。彼女は大学卒業後にカリフォルニアに移り住み、定期的に血液や血漿(けっしょう)を寄付していたが、卵子も必要とされていることに気が付いた。同じバックグラウンドを持つアジア系米国人の研究者カップルとマッチし、卵子が採取された。研究者カップルから採卵前に青いカシミヤのスカーフとカードを受け取ったほか、6500ドルが支払われたが、当時は公平だと思ったという。
彼女はすでに仕事を二つ持っていた。一つは生活費を稼ぐため、もう一つは旅費に充てるためだ。臨時収入を得ればオランダ旅行に行くことができた。
カマカヒには精子を売った男性の友人が複数おり、面白半分で収入を比較してみたが、ほぼ同額だった。精子の提供が容易な一方、卵子の提供の苦しみを考慮すると公平とは思えなかった。偶然にも友人の1人が付き合っていた女性は法律事務所で働いており、ASRMによるドナーへの報酬制限を価格操作として訴えることを望んでいた。
カマカヒは、ASRMが価格を人為的に低く抑え、クリニックが恩恵を享受していると訴えた11年の独占禁止法を巡る訴訟で、原告側の代表になることに同意した。法律文書によると、原告側は「買い手側の陰謀」と主張した。カマカヒはこの訴訟に関する初の公の発言として、「訴訟を起こすのに金銭的な動機はなかった。ただ、女性は貧乏くじを引かされていたから」と述べた。
この訴訟は16年に和解し、ASRMは年末までに報酬に関するガイドラインを撤廃した。これにより、卵子ドナーは子どもを望む人々が支払える金額を得ることが可能となった。特に中国人はかなりの金額を支払う覚悟があった。政府が一人っ子政策を廃止したばかりだったからだ。2人目の子どもを望む年配者など多くの人々が米国、特にカリフォルニア州に渡り、中国では認められていない法的保護やサービスを利用した。
アンバーを含む卵子ドナーもすぐに米国に向かった。19年にアンバーは1サイクルで1万7000ドルを得た。「市場原理だ」と彼女は述べた。
10代の少女
ただ休んでいるだけ
バラナシの少女が卵子提供を説得される数年前、ユマ・シェルパという女性がダージリンからデリーに移住した。
シェルパは衣料品店で働き、わずかながら収入を得ていた。13年の終わり頃にある女性から、卵子を2万5000ルピーで売れるという話を持ち掛けられた。数カ月分の貯金に相当する金額で、ヒマラヤ山麓の親戚の家に住む3歳の娘に会いに行くには十分だった。シェルパのさらさらの髪と白い肌、アーモンド形の目があれば、卵子の買い手はすぐに見つかるだろう。シェルパは夫のサンジュ・ラナに内緒で承諾した。
14年1月29日午後4時ごろ、シェルパは体外受精クリニックに到着した。数日前、ホルモン注射で不快な症状が出たため、キャンセルしたいと医師に伝えていたが、クリニック側からもう手遅れだと言われ、予定通りに進めるしかなかった。彼女の卵子は10分足らずで採取された。
彼女は回復室からラナに電話をかけ、苦しそうに話した。早く来て、と彼女は言った。
午後7時15分ごろにラナが到着したとき、シェルパの反応はなかった。裁判記録によると、スタッフは彼に「彼女はただ休んでいるだけです」と告げた。1時間が経過。医師がようやく診察し、救急車が呼ばれたときには午後10時になっていた。彼女は脈拍のない状態で病院に搬送された。午前0時過ぎに死亡が宣告された。
解剖の結果、シェルパは卵巣過剰刺激症候群(OHSS)により死亡したことが判明した。 卵巣は3倍の大きさに腫れ、 血液と体液が腹部と心臓および肺の周りに漏れ出していた。 このような死亡事故は、ホルモンの「慎重な使用」と患者を注意深くモニタリングすることにより回避できる、と後に症例報告で結論付けられた。
2000年代初頭以降、インドが不妊治療の人気スポットとなったことで、あるパターンが定着した。不祥事の発生を受けて規制を求める声が上がり、その後、何も起こらないというものだ。
シェルパの死はニュースの見出しを飾ったが、関心はすぐに消えた。翌15年、デリー医療評議会は、シェルパの採卵を監督した医師に過失は認められないと判断。「まれな合併症」として処理した。
2年後、デリー医療評議会は別の案件を審理。ビジネスウィークが入手した評議会文書によると、同国を代表する公立研究病院である全インド医科大学ニューデリー校の医師が、体外受精患者から30個の卵子を採取し、そのうち14個を患者の同意なしに他の不妊治療患者2人に移植したとの内部告発があった。
これは卵子盗難疑惑の新たなケースだった。
他の患者に卵子を移植したニーター・シン医師はインタビューで、患者が同意したとスタッフから聞いたと述べ、「ささいな手続き上の過失」だと説明。これに対しデリー医療評議会は「重大な過失」だとして、同医師に1カ月間の停職処分を命じたが、インド医療評議会はこれを覆して警告にとどめた。
21年12月、インドは生殖補助医療技術を規制する法律を可決。政府への政策提言や行動規範の策定を担う新たな国家委員会が設置されたが、その委員にシン医師も名を連ねた。
【卵巣過剰刺激症候群(OHSS)】
卵巣過剰刺激症候群(OHSS)は医原病の一種で、卵子ドナーや体外受精(IVF)の受診者による排卵誘発剤の服用などの医療行為によって引き起こされる病気だ。軽症の場合は、腹痛、吐き気、下痢などの症状が現れる。重症の場合は、血栓、肺水腫、卵巣捻転による血流停止などを発症する。OHSSによる死亡はまれとみられる。
OHSSはまだ十分に理解されておらず、報告されないことも多い。欧州ヒト生殖医学会(ESHRE)によると、体外受精受診者の33%が軽度のOHSSによる影響を受けている。
米国生殖医学会にれば、中程度から重度のOHSSは体外受精周期の約1-5%で発症する。監視が厳格な豪州のビクトリア州では、18年から21年にかけて、入院を必要とするOHSSの症例のうち、わずか3分の1しかクリニックが報告していなかったことを当局が確認している。
卵子ドナーに対する経過観察は一貫していないため、ドナーのOHSS発症頻度は不明。
全体的に見ると、若い女性や一周期に15個余りを排卵する女性は特に発症リスクが高い。これは多くの卵子ドナーに当てはまり、アンバーやカレンもその1人だ。
書籍「Eggonomics: The Global Market in Human Eggs and the Donors Who Supply Them(エッグノミクス:ヒトの卵子と卵子ドナーのグローバル市場)」の著者でアラバマ大学の医療人類学者のダイアン・M・トバー氏は「一部のクリニック、特に卵子バンクでは、より多くの薬剤を投与することで可能な限り多くの卵子を得ようとしている」と述べている。
米国では、CDCが不妊治療クリニックから膨大なデータを収集し、成功率、つまり生児出生率を公表している。しかし、各クリニックの体外受精受診者と卵子ドナーが医学的合併症を発症する頻度については公表を拒否している。ブルームバーグは情報自由法(FOIA)に基づき、このデータの公表をCDCに求める訴訟を提起した。(CDCは係争中の訴訟についてはコメントしないとしている)
モデルのカレン
24時間拘束
カレンは、マイアミ国際空港の窓のない部屋で、恐怖と疲れを感じながら座っていた。ブエノスアイレスから9時間のフライトの後、ここに連れてこられた。携帯電話とパスポートは没収された。旅行と観光ビザについて入国管理担当官から渡米の目的などを矢継ぎ早に質問された。
20年10月、カレンにとって卵子提供のための5回目の渡米だった。新型コロナ流行のさなかで、米国行きのフライトは大幅に削減され、入国審査は強化されていた。表向きは、感染者を探していた。
だが、入念な非公式審査では事細かく検証された。カレンの話はつじつまが合っていなかった。入国管理担当官がカレンの携帯電話を調べた。「ワッツアップ」での契約に関するやり取りが見つかった。問い詰められたカレンは白状した。
「最後に私は認めた。『休暇中と言ったが、その契約が本当の理由だ』と」。
24時間拘束された。「テロリストのように扱われるほど、そんなに悪いことなのか」と自問した。米国への入国は拒否され、アルゼンチンに戻ることを余儀なくされた。
帰国の便に搭乗するまで携帯電話は返してもらえなかった。着陸して電源を入れると、ワッツアップにメッセージがたまっていた。
アリスからのメッセージもあった。「ポールと私は親になった」と、元気な男の赤ちゃんの写真が添えられていた。ルパートと名付けられていた。「あなたがとても好き」とも書かれていた。
カレンは泣き出した。「それは私にとってサインだった」とカレンは語った。「そのメッセージはこう伝えていたのだ。あなたがしていることは悪くない。この赤ちゃんの誕生を可能にしたのだと」
ギリシャの母
ウクライナからの遺伝物質
ロシアのウクライナ侵攻により、世界の卵子取引が混乱し、主要な供給国が危険にさらされた。22年2月、ウクライナの精子・卵子バンクのスタッフは凍結された遺伝物質が入った小型容器を車に詰め込み、スピードを上げて国境を通過した。目的地の一つはギリシャのハニアにあるMFIクリニックだ。同クリニックは安全な保管を提供すると発表していた。
ギリシャの監督当局が前回実施した調査結果ではクリニックを閉鎖すべきだと判断されたが、MFIの知名度は高まるばかりで、卵子ドナーや代理母のほか、親になりたい人々や凍結された卵子が次々と集まった。(生殖補助当局はコメント要請に対し、MFIのライセンス停止命令が執行されなかった理由については直接言及しなかった)
同年、ギリシャ国家警察の組織犯罪対策課は、クリニックが妊娠した代理母を収容していたハニアにある家屋の捜査を開始。22年12月には裁判所の許可を得て、クリニックに勤める職員の電話の通信傍受に着手した。
23年2月20日、MFIのスタッフは採卵のためにブルガリア人女性に麻酔をかけたが、警察の通信傍受によると、この女性は激しくけいれんし、酸素不足に陥った。採卵は失敗したが、女性は一命を取り留めたという。
クリニックを中心とする犯罪ネットワークの存在を確信した警察は23年8月、クリニックを創設した医師や科学ディレクターを含む8人のMFIスタッフの逮捕に踏み切った。医師と科学ディレクターは双方とも拘束され裁判を待っている。
医師の担当弁護士はコメント要請に応じなかったが、科学ディレクターの弁護士は電子メールで、逮捕に関するビジネスウィークからの質問リストには不正確な点が含まれているとしたが、どの点なのかは明記されていなかった。
警察の発表資料によると、クリニックは卵子ドナーや代理母としてウクライナやルーマニア、モルドバ、ジョージア(旧グルジア)、アルバニアから弱い立場にある女性を集め、十数軒の家屋に住まわせていたほか、クリニックのスタッフは医療記録や裁判記録を偽造し、違法な養子縁組を支援していた。さらに、クリニックが「見せかけ」の胚移植など実際には行っていない不妊治療サービスの料金を受診者に請求していたケースが数百件に上ったという。
クリニックは警察の管理下に置かれ、営業を停止。MFIで冷凍保存されていた遺伝物質はハニア総合病院に移送された。
同月、ギリシャの報道機関は、警察が監督当局トップのブラチニス(MFIのライセンス停止に反対した人物)を収賄容疑で捜査していると報じた。この人物は逮捕されなかったものの、ギリシャ政府はその週のうちに解任した。(ブラチニスはこの件に関する電子メールによるコメント要請に応じていない)
警察の捜査は続いており、現在はクリニックのファイルにアクセスできるようになっている。手書きの記録を精査すると、マリアのような体外受精の受診者に関するパターンが浮かび上がる。受診者から卵子が採取され、その一部は受診者自身のための受精卵に使われたが、同じ日に別の女性が卵子の「寄付」を受けていた。その数は体外受精の受診者向けに使われなかった卵子の数と同じだった。
捜査は継続中のため詳細はまだ公表されていない。ただ、ビジネスウィークが入手したクレタ島在住の検察官による非公開の欧州司法機構向けプレゼンテーションの準備原稿によると、警察は、MFIでの最大75件の卵子盗難事件を特定したことが分かった。ギリシャの司法関係者によると、最終的に判明する件数はもっと多い可能性があるという。
モデルのカレン
7回目の卵子提供依頼
カレンの6回目の卵子提供は21年終盤にメキシコのカンクンで行われた。当時、カレンは新型コロナの流行が収まるのを待つため現地に住んでいた。58個の卵子が採取され、今回も米国に輸送された。
健康ガイドラインに沿って、これを最後の卵子提供にするつもりだった。数年前にカレンはドナーからスカウトに転身。ケニアとその夫と共に、ドナーのニーズをくみ取る人材紹介会社を設立した。
6回目の提供の約2年後、エージェントのグローイング・ジェネレーションズでカレンを担当していたジェシカ・ジュニエントから留守電が入っていた。
カレンはブエノスアイレスに戻っていた。31歳の誕生日を数カ月後に控え、同エージェントの内部規定年齢上限である29歳を超えていた。過去に生み出した卵子の多さやOHSSの既往歴から、新たな卵子提供によるリスクが上昇していた。 それまでに300個近い卵子をドナーとして提供していた。
ジュニエントからのメッセージは、再度の卵子提供を検討してもらえるかどうかをカレンに尋ねるものだった。
ギリシャの母
引き取り手のない卵
MFIスタッフの逮捕による混乱は国境を越えて広がった。
オーストラリア人のコンサルタント、サム・エバリンガムは現在、MFIを利用した依頼人が今回の件を乗り越えられるよう支援している。エバリンガムによると、不妊治療そのものを諦めたり、煩雑な手続きに嫌気がさしたりしたため、一部の依頼人は自分たちに提供される予定だった受精卵を放棄したという。
卵子が誰のものなのかを追跡するのは不可能に近く、もちろん依頼人にも卵子ドナーが誰なのかは明かされていない。MFIに現金で支払った依頼人の中には領収書すら渡されなかった人もいた。
エバリンガムにとって今回の混乱は、かつてのインドの不妊治療産業を思い出すきっかけとなった。エバリンガムと彼のパートナーは2人の娘に使用された卵子が1人の女性から提供されたと聞いていたが、時がたつにつれ疑いを持ち始めた。「疑問に思うのにうんざりした」。エバリンガムらは23年、娘たちにDNA検査を受けさせた。結果は「不一致」だった。
「当時、インドに向かった多くのカップルに私たちと同じことが起こった」と彼は言う。そして今、MFIで同様の混乱を目の当たりにしている。「背筋が凍り付いた。12年たっても同じことが起きている。弱い立場にいる人たちに凍結されていたものを何でも与えていたことを想像すると恐ろしくなった」と吐露した。
6月のハニア総合病院。1人のエンブリオロジストがキーパッドに暗証番号を入力し、ある部屋に入った。室内は空調によって温度と湿度が管理され、ディスプレーには摂氏16度と表示されている。壁際には六つの金属製の容器が並んでいる。まるでSF映画「スター・ウォーズ」シリーズに登場するキャラクター「R2-D2」のようだ。もっとも、上部からはワイヤ付きの温度モニターが飛び出ていて、警報器につながっている。
それぞれの容器に入っているのは、MFIから押収された遺伝物質だ。全部で約900人から採取された卵子、精子、受精卵が収まっている。
エンブリオロジストのマルガリータ・リバニウが現在、これらを管理している。彼女は10年間にわたりMFIに勤めたが、事件には関与しておらず、この凍結された遺伝物質の移送に同行した。リバニウが容器の上部のネジを外すと白い冷気が立ち上る。中から「ストロー」と呼ばれる棒を取り出すと小瓶が付いており、それぞれにはコードがラベリングされている。この小瓶に卵子が入っているのかと尋ねると、リバニウは小瓶をよく見てから「イエス」と答えた。
この遺伝物質コレクションに関する書類が腹立たしいほど不完全だったため、正確な調査は不可能だったとリバニウは語る。彼女の調査によると、約125組の外国人がMFIに卵子と受精卵を凍結保存していた。約40組がイタリア、22組がオーストラリア、ほかはインド、ドイツ、フランスなどだ。ウクライナから移送されたものも含め、卵子と受精卵のほとんどは引き取り手がいなかった。
10代の少女
「小役者」
インドの非営利団体「グリア・インディア」で20年にわたり人身売買の被害者救済に携わってきたゴパル・クリシュナ弁護士は7月、バラナシの少女の事件の詳細を記した警察の報告書を机の上に広げていた。素人目には捜査は順調に進んでいるように見えても、家族を無償で弁護しているクリシュナは懐疑的だ。
主任医療官が警察に送った報告書には、ノバの従業員や医師の関与なしには事件は起こり得なかったことが明確に書かれていた。しかし、警察がその1週間後に最初の報告書を提出した際には、容疑者の中にクリニックや従業員の名前はなかった。
クリシュナは、答えが出ていておかしくない疑問を列挙した。クリニックの監視カメラ映像には、あの日に他の女性が入って行く姿が映っていたが、警察は未成年者が他にいなかったか確認しようとしたのか? 少女の卵子はどこにあるのか? 法律でクリニックはそうした記録を保存することが義務付けられている。容疑者は警察に、ドナーを他のクリニックにも紹介していたと供述しているが、警察はその後調査したのか?
アニタの保釈審問を担当したアラハバード高等裁判所の判事は、なぜこの事件でクリニックの役割が軽く扱われているように見えるのか疑問に思った。「病院オーナーの事件への関与が全く見えてこない」と指摘し、検察側が「特定の有力者」を示唆することを意図的に控え、「取るに足らない従業員」に焦点を当てたのではないかと疑問視した。
ビジネスウィークの取材に応じたアニタの弁護士はコメントを控えた。シーマの弁護士は、「バラナシでは卵子提供を巡る大きな不正が横行していた」と語り、依頼人は貧しい家庭の出身で、彼女の関与はわずかであり、「悪の根源は病院だ」と述べた。
1年がたち、クリシュナは彼が呼ぶところの「小役者」の逮捕が全て体裁を整えるだけのものだったのではないかと思っている。
指印による署名
卵子を売った理由
バラナシの少女の自宅から南に1000マイル離れた場所に、インドの医療の中心地であるチェンナイ市がある。その郊外に、数十人の女性が卵子提供を行っている地域がある。私たちは、夫に知られないよう自宅の外で会うことを希望した4人の女性にインタビューを行った。
市内の不妊治療クリニックにドナーを仲介するエージェントからリクルートされ、全員が20歳代または30歳代の時に卵子提供を行った。女性たちは、毎日水をくみに行く共同貯水タンクの近くで経済的な苦労について話している時に、年配の女性エージェントから「お金を稼ぐいい考えがあるんだけど、聞いてみる?」と声を掛けられたという。
卵子を売った理由を尋ねると、ある女性は「今日お金が手に入れば、今日は食べることができる。それだけだ」と答えた。献血するには体が弱過ぎたので卵子提供をしたと話す女性もいた。借金やアルコール依存症で暴力的な夫の話や、花嫁持参金を娘のためにためておきたいと口する人もいた。花嫁持参金は1961年に違法となっている。
不妊という汚名がインドで広がる中で、他の女性を助けたいという声もあった。家事や下水溝などの清掃の仕事に就いているが日給は3ドル、あるいは5ドルに過ぎない。卵子提供の報酬は300から350ドル。読み書きができないため、同意書の署名は指印だ。バスに乗って注射を受けに行く時は、どこで下車するか分かるように停留所の数を数えたという。
モデルのカレン
8000マイルの旅
ブエノスアイレスの不妊治療クリニック、WeFIVの地下駐車場に小型トラックが入ってきた。トラックに積まれたドライシッパー(凍結試料搬送容器)と呼ばれる小型容器は既に地球を何周もしているが、7月のこの日、新たな旅に出る。一つはカレンの卵子、もう一つは別のドナーの卵子だ。
容器はクリニックのロビーまで運ばれ、ラボの技師に手渡された。今度は技師が5階に向かう。カレンの卵子27個が32日間保存されてきた貯蔵タンク「4780」がある場所だ。卵子はドライシッパーに移され、物流会社スペース・クーリエが借りている倉庫に向かう。
倉庫にある作業台には今回の卵子輸送に関する書類がある。書類は薄く、エックス線検査はできないと書かれたアルゼンチン保健省の申告書などだ。最後のページにある船荷証券には、カレンの卵子が計135ドル(1個5ドル)の価値と記載されていた。カレンがかつて3万5000ドルで売ったのと同じ卵子だ。
容器は大きな段ボール箱に入れられて空港に運ばれ、貨物置き場に何時間も置かれた後、アメリカン航空954便の貨物室に積み込まれる。ブエノスアイレスからニューヨークのケネディ国際空港には一晩で着く。
米税関・国境取締局(CBP)で箱は開封されずに通関。8時間の待ち時間を経て、カレンの卵子が入った箱はロサンゼルスに向かった。
6時間後、ロサンゼルス国際空港でベルトコンベヤーの上をこの箱が流れてくる。箱は斜めに傾いていた。取っ手の穴が破れた状態で、空港の隅にあるアメリカン航空の倉庫に運ばれ、一晩、置かれた。
翌日、正午過ぎに黄色いトラックが卵子回収のため到着。運転手は荷物の受領書に署名する。政府検査は不要、米食品医薬品局(FDA)関係者の訪問もない。17年のコンプライアンスマニュアルによると、同局は卵子・精子輸入を審査せず、「迅速」な対応を優先している。
この箱の同行取材を続けてきたビジネスウィークの記者が運転手に箱の中身を知っているか尋ねたが、運転手は知らなかった。
トラックはロサンゼルスを出発し、高速道路を通って45分後にビバリーヒルズの不妊治療クリニックに到着した。ブエノスアイレスのクリニックを出発して57時間32分後、カレンの卵子は目的地に着いた。ここから、卵子はメキシコに住むカップルの元に向かう。カップルの名前はカレンも知らず、ここでわれわれの旅は終わる。
【追跡はほぼ不可能】
世界市場の動向を把握するためビジネスウィークは15カ国で情報請求や民間業者、調査報告書を通じ、卵子の輸出入に関するデータを探した。だが、凍結卵子やドナーの移動を追跡するのはほぼ不可能という結論しか得られなかった。
日本とスペインでは、卵子の輸出入の動向を確実に追跡できていないことが分かった。カナダには卵子輸入で登録した企業リストがあるが、輸入件数の記録はない。
米国ではFDAがデータベースを管理し、クリニックや卵子バンクは輸入について登録することになっている。だが18-24年の出荷記録はわずか64件だ。
7月にブエノスアイレスからカリフォルニア州に輸送されたカレンの卵子は登録されていたが、もう1人のドナーの卵子は未登録だった。
ギリシャの母
「ただ知りたいだけ」
ある晴れた平日、マリアはハニアの町のにぎやかな中心部にある勤務先の店舗で記者と会った。調子はどうかと聞かれると、マリアはパソコンのスクリーンに向かい、グーグル翻訳のページを開いて左側にギリシャ語で一つの単語を打ち込んだ。右側に現れた翻訳結果は「心理学者」だ。
彼女は専門家のカウンセリングを受けていた。だが、彼女のセラピストは卵子を盗まれたことによるトラウマ(心的外傷)については、心理学の教科書で全く触れられていないと話す。
マリアは、死産だったと聞かされた女性の赤ちゃんが実は生きていて養子に出されたという昔からある話を引き合いに出し、「もうそんなことをする必要はない。卵子を奪うだけでいいのだから」と述べた。
マリアの頭の中ではさまざまなシナリオが渦巻いている。その一つは彼女の子どもが成長し、同年代の人と恋に落ちたときのことだ。彼女は思いを巡らす。「その相手は私の子どもときょうだい関係かもしれない」。マリアは子どもの恋人を見るたびに家族との外見的な類似点を探すことになるのだろうか。
そして、もしマリアの卵子から別の子どもが生まれていたとしたら、その子どもの家族はどうなるのか。「その子は私の子どもだけど、私の子どもじゃない。彼らの子どもよ」とマリアは言う。
マリアが考え続けてきたのは追跡コードだ。一つは彼女自身のもの、もう一つは彼女の卵子が提供された女性のものだ。お互いが望めば双方が連絡を取る手段を警察に提供してほしかった。だが、正式なルートはない。追跡コードを持つ女性たちは自ら行動を起こすしかない。
おそらくソーシャルメディアを活用することになるだろう。その方法はシンプルで、フェイスブックのグループに「追跡コード1234が追跡コード6789を探しています」と投稿するだけだ。
北米や豪州などの遠く離れた場所、あるいは彼女が住むクレタ島に近い場所で暮らすその家族を思い浮かべながら、マリアは「私は彼らから子どもを奪いたくない」と話す。
「ただ知りたいだけなの」。
10代の少女
人生が台無しに
少女の卵子が採取されてから1年。彼女が欲しがっていた携帯電話は呪いと化した。
バラナシでは、彼女がお金のために違法行為をしたと誰もが知っているようだ。卵子売買とはどういうことで、どう行われるのかを理解している人はほとんどいない。彼女の母親でさえ、当初は売春と混同していた。母親は「娘は何か悪いことをして売られてしまった」と警察に訴えた。
彼女は学校でのからかいに耐えられず、7年生で中退した。近所の住人たちは、娘に自由を与え過ぎたと母親を責めた。彼女はまだ子供を産めるのだろうか?というインドの女性たちが恐れる疑問がささやかれた。
少女は学校では成績が良く、学習能力も高かった。彼女には妻や母親になること以上の望みがあり、かつては美容師になることを夢見ていた。「人生で何かを成し遂げたい」と言う。
だが彼女は今、恥ずかしさに苛(さいな)まれている。「誰も私と結婚したくないと思っている」と声を震わせ、涙を止めようとしながら話す。彼女が欲しかったのは携帯電話だったが、「私は子供で、子供の考え方しかなく、それが大変なことだとは知らなかった」と悔やむ。
逮捕された5人はその後、保釈された。一方、少女は外出もほとんどせず、自宅で携帯電話をいじっている。インド社会で尊敬される「偉大な医師」たちがなぜ、子供と大人の区別がつかなかったのか、なぜ自分が責められるのかと彼女は疑問に思う。祖父でさえ、家族に恥をかかせたと彼女を責める。
「私も不当に扱われた」と言う彼女は、「人々には無力さというものを理解してほしいし、それに付け込まないでほしい」と訴える。母親も「娘の身に起こったことは、他の誰にも起きてはならないことだ」と話す。
約2000年前、インドは伝統医学アーユルヴェーダの医学書「チャラカ・サンヒター」などで、最も古い医療倫理規定の一つを世界に示した。医師は、あらゆる手段を尽くして全ての患者を助けるという基本原則を定めている。
不妊治療業界で、彼女が患者ではなく、本当の患者のための道具に過ぎないと告げる人は誰もいなかった。自分の卵子が今頃、決して知ることのない子供たちを生み出すために使われているかもしれないということを、彼女はやっと気付いたところだ。
一方は命の贈り物を手に入れ、もう一方は一度限りのお金を受け取った。不妊治療業界は、双方に利益をもたらすウィンウィンの関係として売り込んでいるが、平等な取り決めであることはめったにない。
自分が受け取ったものよりもはるかに多くを差し出したことに少女が気付くのは、遅過ぎた。
モデルのカレン
ルパートとマチルダ
9月のある日、メルボルン中心部から南西に車で約1時間の距離にある平屋造りの家で、新しいタイプの大家族がビデオで会話している。
家の中は、2人の幼児がいる家庭にありがちな乱雑な状態だ。よだれかけが干してあり、おもちゃが散らかっている。白い革張りのソファに座るアリスは、膝の上にノートパソコンを置き、周りではルパートとマチルダが遊んでいる。ルパートは4歳、マチルダは1歳。最近41歳になったアリスは、カレンの胚の一つを使い、23年にマチルダを出産した。既に3人目の出産を検討中だが、ポールはまだ納得していない。
7200マイル離れた場所にいるカレンが画面越しにほほ笑み、「2人とも大きくなったわね」と語り掛ける。
アリスは娘のマチルダに向かって「この人が私たちに何をしてくれたか覚えてる?」と尋ね、「彼女とパパが、ママのお腹に入れた胚を作ってくれたのよ」話す。
豪州では、人工授精で生まれた人が、生物学上の親が誰であるかを知っていることは珍しくない。複数の州で出自を知る権利を認める法律が制定されている。
部屋の隅には、カレンが住む場所と、アリスの不妊治療とカレンの卵子採取が行われたポートランドのクリニックの位置をルパートとマチルダが確認できる世界地図がある。本棚にはドナーを通じて生まれるまでに関する本が6冊ほどある。
こうした技術によって生まれた子どもの大半は、このような関係を知ることはない。より多くの凍結卵子が国境を越える中で、この傾向は強まっている。多くの卵子は、出自を知る権利に関して法整備が進まず、記録が適切に管理されていない国から集められるためだ。
これまでカレンは5年間に3カ国で7回卵子を採取し、計336個を売った。少なくとも5回の妊娠が実現した。しかし、カレンの知る限り、彼女の卵子から生まれた子どもはルパートとマチルダだけだ。
アリスは、マチルダがカレンにますます似てきたと語る。「あなたのママに新しい写真を送らないとね」とアリスがマチルダに話す。
カレンの携帯電話は、そんな写真でいっぱいだ。カレンは写真を見せびらかしている。その姿は誇らしげな叔母のようだが、彼女は同時に、卵子ドナーになるよう若い女性たちを説得するエージェントでもある。
(原文は「ブルームバーグ・ビジネスウィーク」誌に掲載)
原題:Human Eggs Are a Premium Commodity for a Global Fertility Market(抜粋)