法制審議会が夫婦別姓問題に関する答申をまとめたのが平成8年(1996年)2月。30年経ってもいまだに実現していない。こうした状況に業を煮やして野党第一党の立憲民主党が動き出した。今国会で成立を図るべく4月中に法案化をめざすという。法制審の答申に沿った内容の法案を作り、成立に向けて与野党に協力を要請するという。ポイントは子供の姓をどうするか。婚姻届提出時にどちらの姓にするか、あらかじめ決める内容のようだ。法制化それ自体に異論はないのだが、野党第一党としてどうして103万円の壁問題や高校授業料の無償化問題で、野党各党に共闘を呼びかけなかったのか。嫌味の一つも言いたくなる。まあ、それはそれとして法務省のH Pによると「結婚後に夫婦のいずれかの氏を選択しなければならないとする制度を採用している国は、日本だけ」とのこと。世界の潮流に合わせることも大事だろう。

法案の中身もさることながら、どうしてこの問題が30年にわたって放置されてきたのだろうか。愚行するに自公連立政権の安定多数が続いたからだ。自公と言ってもとりわけ大多数の議席を占める自民党の意見がまとまらなかった。自民党内では保守層を中心に旧来の家族制度を守ろうとする意見が大勢を占めている。もちろん党内にも夫婦別姓に賛成する意見もある。石破総理自ら総裁選の際には別姓に賛成するとの公約を掲げていた。総理に就任した途端に態度を豹変させたのだが、いまは問うまい。もちろん、野党も全員賛成ではない。夫婦別姓に反対の議員もいる。国会議員全体に占める賛成派と反対派の割合がどうなっているのか、実はよくわからない。なぜか。仮に立憲民主党がまとめた法案の賛否を問うても、その比率はわからない。どうしてか。与野党問わず採決にあたって党議拘束をかけるからだ。

令和元年の人口動態統計によると、結婚時に夫の姓を選択する割合は95.5%を占めている。家族とは何か、別姓にしても家族の団結は維持できるのか。考え出したらキリがない。50年経っても100年経っても答えが出ないかもしれない。だからといって別姓問題に決着をつけなくてもいいと言っているわけではない。弱者、少数派に配慮するのは当然のことだ。問題は別姓の採決に党議拘束をかけることだ。これにどんな意味があるのだろうか。国全体に関わる予算や国防・外交問題で党議拘束をかける意味は理解できる。政党の責任が問われるのだ。別姓問題のように少数を対象としたテーマは、個々の国会議員の判断に任せればいいのではないか。日本には政党法がない。倫理観の欠如も裏金疑惑もそれが原因ではないか。政党の枠を取り払えば、簡単に多数派が結成できることもあるだろう。党議拘束の弊害にもっとメスを入れるべきだ。