注目の参院選挙が終了した。石破総理の唯一の政権基盤だった参院での過半数は、予想通り維持できなかった。それでも総理は続投するらしい。比較第1党としての責任だそうだ。批判する言葉が見当たらない。今日の午後に公式の記者会見を行う予定だが、自民党内の反石破勢力は総理の意向をそのまま受け入れるのだろうか。自民党という政党にあらためて政党しての見識を問いたくなる。国民がダメという審判を下した人を、総理として続投させる。民主主義ってなんだ。日本の民主主義、国民主義の根幹を揺るがす事態だ。政権選択選挙だった前回の衆院選挙、ここでも石破総理は過半数割れだった、2回目の醜態。立憲民主党の野田代表は、臨時国会で内閣不信任案を提出するかどうか問われ、「総理の記者会見をみて判断する」と答えた。衆議院の会期末に不信任決議案の提出を見送った人だ。あらためてその判断が注目される。
選挙結果は喜ぶ人もいれば、落胆する人もいる。個人的には喜怒哀楽愛半ばといったところか。「怒」と「哀」は想像していたより自民党の議席が多かったこと。自民党は意外に善戦した印象を受ける。メディアの事前予想があまりにも極端だったこと。これが自民党に危機バネとして働いた気がする。メディアは相変わらず自分たちの影響力に鈍感だ。なんとかならないものか。どうにもならないことはわかっているが、頭の中でメディア不信(SNSを含めて)が堂々巡りしている。「喜」と「楽」は言わずもがな。自公が参院でも過半数をう割り込んだことだ。これで野党が政権をとれるわけではないが、政策決定に大きな影響力を持つことになった。野党各党が主要政策で自民党ににじり寄らない限り、国会は野党主導で運営できる。この力を各種政策にどのように反映させるか、野党各党に問われることになる。
参院選を眺めながら、日本の政界にはトランプ大統領の掲げる「MAGA」に相当する大戦略がどこにもないという印象を受けた。いいか悪いかではない。激変する国際情勢を前にした国家としての基本戦略だ。議席を伸ばした国民民主と参政党が、「手取りを増やす」「日本人ファースト」といったキャッチコピーを使っていた。これは国家戦略につながる要素だと思う。だが、もっと大きな国家戦略が必要だ。例えば、核に関する議論。石破総理はトランプ氏のいないところで「なめられてたまるか」と粋がって見せた。この言葉の本質的な意味をある程度理解しているのだろう。だが、それを堂々と主張する戦略がまるでない。まさに米国に隷属してきた自民党を象徴する総理だ。続投も宜なるかなだ。あえて言えば立民も類似の政党だ。大幅に議席を増やした国民と参政党には、この壁を打ち破る可能性がある。両党にとってはこれからが「勝負の分かれ目」になる。
