最近の国際的な政治交渉はことごとく不透明である。理由は簡単、確認するための文章がないからだ。最近の例では日米関税交渉がその最たるものだ。石破総理は「日本の将来がかかった極めて重要な交渉」と位置付けながら、期限直前に合意に達した交渉の中身が何一つ文書化されていなかった。すべてが当事者の口約束にすぎなかったのだ。その結果、関税スタート直後に両国の見解に違いが生じ、赤沢担当大臣が渡米して中身を再確認という不始末。ことなきを得たとはいえ、再確認事項そのものを確認する文書すらない。相変わらずの口約束だ。歴史的交渉の中身を文書に残して双方で確認しない。これを“歴史的失点”と言わずになんと言えばいいのか。赤沢氏は関税の引き下げを優先したと強弁する。どんなに忙しくても文書に残し歴史の検証に耐えるものにする、これが国際交渉にあたる政治家の常識ではないのか。
ウクライナ戦争の終結を目指す米ロ交渉並びに、EU内の有志国を集めた一連の歴史的な会合でも、文書化は行われなかった。米ロの首脳会談については、会談後に質問なしの記者会見が行われただけ。直後にトランプ大統領がFOX テレビの単独インタビューを受けているが、会談内容を記した文書に両首脳が署名したという記事はこれまで見たことがない。この会談でトランプ氏は「多くの項目で合意した」と記者会見で説明したが、具体的内容は公にしていない。文章がないからこれも単なる口約束に過ぎない。その後に行われたゼレンスキー氏との会談、有志国を交えた合同会議についても、確認文書らしきものは発表されていない。おそらくすべてが口約束なのだろう。共同声明といった形で発表できる段階ではないとしても、簡単な検討項目や合意事項を記した文書ぐらい作るべきではないか。
民主主義を度外視した強権国家同士の首脳会談ではない。価値観を同じくする民主主義国家の首脳会談である。背後にいる国民を意識すれば文書化は政治家にとって最低限の常識ではないのか。これでは強権国家並みの国民無視と批判されても致し方ないだろう。ウクライナ交渉はいつの間にか、「停戦合意」から「終戦合意」に交渉のステージが変化した。トランプ大統領と有志国の共同会議ではドイツのメルツ首相が「停戦合意を優先すべきだ」と発言、これにフランスのマクロン大統領も同調するという一幕があった。この二人、議論の流れをまったく理解していないのだろう。これも確認文書の不在が原因なのかもしれない。イタリアのメローニ首相が「なんてトンチンカンなの」と、呆れ顔をしてれのが印象的だった。会議に参加している首脳ですら、何がテーマかわからなくなっている。文書化しない政治家の国際交渉術が、ウクライナ戦争の終結を遅らせているのかもしれない。
