千葉県御宿町で余生を過ごしたハルウララ
9日未明に死んだハルウララの厩舎で思い出を語る宮原さん(10日、千葉県御宿町で)

 2004年に高知競馬で113連敗の最多連敗記録を打ち立て、「負け組の星」として国民に愛され続けたハルウララが9日未明、29歳で息を引き取った。引退後、余生を過ごしていた千葉県御宿町の「マーサファーム」代表の宮原優子さん(42)が10日、「うーちゃん」ことハルウララとの思い出を語った。

千葉県御宿町で余生を過ごしたハルウララ

 「正直、わがままで面倒くさい性格。サービス精神はゼロで、ふれあいを求めて訪れたお客さんが近づくと、すぐにプイッと後ろを向く塩対応ならぬ『尻対応』だった」と懐かしんだ。

 うーちゃんが牧場に来たのは12年12月。当時の馬主が月8万円の預託料を払えなくなり、約1年後に宮原さんが引き取った。毎日の餌代など、馬の飼育にはお金がかかるため、宮原さんは14年に「春うららの会」を発足。会費を集めて飼育費をまかなった。

 馬の29歳は、人間の90歳に相当する。それでも朝、昼、晩と毎日3食平らげ、死ぬ前々日まで元気だった。「食欲旺盛でニンジンが大好き。食事の時間が近づくと、後ろ足で壁をばんばん蹴ってアピールしていた」という。9日未明に死んだハルウララの厩舎で思い出を語る宮原さん(10日、千葉県御宿町で)

 異変が起きたのは8日朝。朝食を食べなかったため、すぐに獣医師を呼んだ。 疝痛せんつう (腹痛)の症状があり、宮原さんはうーちゃんを歩かせて症状の緩和を図ろうとした。しかし、手綱を引っ張ると、「いやだよ」と抵抗。「最後まで強情で、わがままを貫いてお別れしました」

 ハルウララは1996年2月27日、北海道新ひだか町の牧場で生まれた。体が小さく、性格的にも競走馬には向かなかったため買い手がつかず、牧場が所有する形で競走馬となった。当時の長引く不況による就職氷河期だった頃、負けても走り続ける姿が多くの人の共感を集めた。2004年には、中央競馬の武豊騎手が騎乗したことでも大きな話題となった。

 マーサファームは予約制で献花を受け付けており、同ファームのHPで詳細を確認できる。