高市早苗自民党総裁が21日、第104代首相に選出される。この間、永田町で繰り広げられた政局をひとこで振り返れば「勝負」だろう。有権者から見れば国会議員も政党も、それを伝えるメディも、今回の政局で問われたのはこの言葉だ。多くの国会議員と政党が勝負に打って出た。逃げた人もいる。思いつくままに列挙すれば、麻生太郎、高市早苗、政党では維新に立憲民主党が勝負に出た。公明党も自爆的ながら勝負に出たのだろう。逆に逃げたのは玉木雄一郎と国民民主党。小泉進次郎ならびにその陣営は勝負を避けた。主要メディアは中立を装いながら小泉陣営の応援団として、雰囲気作りに勤しんでいた。勝負の中身は多種多様。それはとりあえずおくとして、買ったのは高市、麻生、維新。負けたのは立憲民主党。勝っても負けても勝負だから見応えはあった。この政局の中心人物だった玉木は逃げた。

政党政治に久しぶりに活気が戻った。これは評価していい。もう一つ重要な要素は熱量だ。勝ち組、負け組の双方に従来見られなかった熱量があった。敵も味方も熱量が高ければ高いほど勝負は面白くなる。高市の「責任ある積極財政」など言葉の多くに熱量が感じられた。立民の「玉木首相」擁立論も勝負師の面目躍如だった。昨年の衆院選で自公政権を過半数割れに追い込んだ後の首班指名選挙。立憲民主は「野田佳彦で」と野党各党に頭を下げた。その意味で玉木首班論は政権獲得に向けた熱量が感じられた。高市陣営からは「玉木財務大臣説」も流れていた。自民と立憲民主という比較第1党、第2党の引っ張り合いで股裂状態だった玉木は、「信頼回復」「基本政策」という言葉を使い両方を袖にした。高市に親近感を抱きながらその誘いを断り、勝負にでた立憲民主は「基本政策の違い」を理由に袖にする。これを「融通無碍」とは言わないだろう。

国民民主ならびに玉木の一枚看板は「対決より解決」だろう。だとすれば解決のチャンスは目の間にあった。昨年末の3党合意がなぜ実現しなかったのか。これを阻んだのは自民党だけではない。財務省をはじめ水面下で蠢く日本版DS、官僚機構に学者、メディアなど政治支配層の多くが関与している。所得課税の最低額を大幅に引き上げるには、こうしたひと達を相手に勝負を挑まなければならないのだ。東大法学部卒、財務官僚出身の玉木にそんなことわからないはずがない。千載一遇のチャンスを前に玉木は怖気付いた。そして自民と立憲民主のどちらに付くか決断しなかった。もっときつい言葉で言えば逃げたのだ。高市が主張する「責任ある積極財政」を実現するためには、途方もなく高い壁を突き破らなければならない。議員定数の削減も「賛成」から「様子見」に変化している。高市政権における玉木ならびに国民民主の立ち位置は、限りなく微妙になってきた。