高市総理は3日、北朝鮮による日本人拉致問題の解決に向け、日朝首脳会談の開催を北朝鮮側に打診したと明らかにした。読売新聞によると都内で開かれた拉致被害者救出を求める国民大集会で、「被害者の命と国家の主権がかかった問題に対し、手段を選ぶつもりはない。すでに北朝鮮側には首脳会談をしたい旨、伝えた」と語った。歴代政権は政権が発足すると判で押したように「拉致被害者の救済は政権の最重要課題」と強調してきた。解決に向けてどの政権も当初は強い意気込みを語る。だがやることはそれだけ。具体的な行動は何一つ起こさなかった。水面下で模索しているフリをしながら、米国頼みだったり、北朝鮮側の風向きの変化を期待するだけ。常に受け身だった。拉致自体が人権侵害であり、国権の侵犯であるにもかかわらず、総理並びに政権が主体的に動く気配はまるでなかった。そんな中で高市総理は能動的、主体的に打って出た。
だからと言って問題が解決するわけではない。だが、何もしない、できないこれまでの自民党政権の総理・総裁に比べれば、同じ党とは思えない行動だ。先週の外交デビューでも、総理のパフォーマンスは際立っていた。トランプ大統領と腕を組んで見せたり、横須賀の米軍基地を訪れた際には米兵がずらっと取り巻いた壇上で飛び跳ね、拳を振り上げて挨拶していた。これまでこんなことをする総理はいなかった。主要メディアでは「軽率だ」との批判も飛び交っていた。こうした批判が的外れであることは、参列していた米兵たちの歓喜に満ちた顔を見れば明らかだ。高市総理は既得権益者たちの古臭い“常識”を飛び越えている。その一方で、中国の習近平主席と握手する際には、硬い表情で主席との距離を保っていた。複雑に交錯する国際情勢の中で、有権者にわかりやすいこうした対応力が、かえって両国関係の安定に寄与するのではないか。同総理のメリハリの効いたパフォーマンス、いまのトップ政治家には絶対必要な条件だという気がする。
北朝鮮が高市総理の打診に応えるかどうか、現時点ではまったくわからない。だが岸田・石破政権のように「対話の道は無条件で開かれている」と、国内で小さな声で囁く受け身の構えより、相手に直接ぶつかって行く積極的な姿勢の方が問題解決に近づくはずだ。横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月だ。あれからもう48年が経つ。この間、自民党政権はほとんどの期間で受け身の対応しかとってこなかった。拉致問題に限らず既得権益の擁護を除けば、自民党政権はほとんどの問題で常に受け身だったような気がする。失われた30年ではデフレの中で増税するという、とんでもない失政を犯してきた。高市総理は自民党だけでなく官僚、学者、企業経営者、主要メディアに評論家など日本の為政者たちの、間違いだらけの“常識”を変えるかもしれない、そんな期待感がある。
