▽高市首相の台湾有事答弁 外務省幹部が訪中し協議へ 日本の立場説明<毎日新聞>2025/11/17 09:36

外務省の金井正彰アジア大洋州局長が17日に中国を訪問し、高市早苗首相の台湾有事に関する国会答弁を巡り中国側と協議する見通しとなった。協議は18日の予定。政府関係者が明らかにした。日本側は、首相答弁が従来の日本政府の立場を変えるものではないと改めて説明し、事態の沈静化を図りたい考えだ。
首相は7日の衆院予算委員会で、中国が台湾に侵攻する台湾有事に関し、状況次第で安全保障関連法に基づき集団的自衛権の行使が可能となる存立危機事態に該当するとの認識を示した。
中国政府は金杉憲治駐中国大使を呼び出して答弁の撤回を要求した。(共同)
▽派閥解体で「液状化」した自民党、高市首相は「孤高」と「衆知」の間で立ち位置探る<読売新聞オンライン>2025/11/15 05:00
自民党70年<上>
自民党は15日、結党70年を迎えた。1955年11月15日に、当時の自由党と日本民主党による「保守合同」で誕生して以来、長らく政権与党の座を維持してきた国民政党のいまを追う。
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「適切に判断する、でいい。今回は参拝を明言してはダメだ」
9月中旬、東京・赤坂の衆院議員宿舎。自民党総裁選への出馬記者会見を目前に控えた高市早苗(64)を前に、陣営幹部の参院議員、山田宏(67)らがそう迫ると、高市は声をしぼり出して拒否した。「無理です」
陣営メンバーは、高市が2024年の前回総裁選で靖国神社参拝を約束したことでリベラル寄りの国会議員票が逃げ、敗北につながったと見ていた。「また俺たちを泥船に乗せるのか!」。山田らの不満を前に高市は黙り込んだ。
結局、進言を受け入れたのか、同19日の記者会見では参拝を明言しなかった。その後、第29代総裁に選出され、その17日後には第104代首相に就いた。
「頑固」「人の意見を聞かない」――。周囲の高市評だ。党内や霞が関と交友を深めることには一線を引き、「独りで政策の勉強に打ち込む」(周辺)のも独自のスタイルと言える。高市は総裁就任の翌日の10月5日から1か月以上、一度も外で会食をしていない。
高市はそれを美学と感じている節もある。1997年、憧れていた英保守党の元首相・サッチャーと面会した後、雑誌への寄稿ではこうつづっている。
「『親しい友を作ることなく権力の頂点に登りつめた』と評されているが、会ってみて納得。私自身も」
かつての自民総裁は、派閥 領袖 や幹部などとして意見や利害の調整に心を砕き、気配りしながら高みを目指した。国民各層との接点を持つ様々な他派閥と競い合い、糾合することも、首相としての強みにつながった。
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だが、派閥は2024年以降、麻生派のみを残して解散した。党内の議員集団、人的つながりが「液状化」し、明確な固まりも見えづらくなった。そのような中で、自民入党後にほとんど派閥に属さず異色の歩みを重ねてきた高市が、党員の人気によってトップに上り詰める構図は、いまの党の現状を如実に表している。
そんな高市が「結集軸」に掲げるのは、元首相・安倍晋三から引き継ぐ保守地盤だ。積極財政、外国人政策、防衛費増額など保守的な政策を矢継ぎ早に打ち出し、好調な船出となった。
もっとも、憲政史上最長の政権を誇った安倍の時代と比べ、自民を巡る状況は様変わりした。衆参両院で少数与党となり、四半世紀の伴侶だった公明党は与党を去った。日本維新の会を連立政権に迎えたものの、針路はいまだ定まらない。
安倍もかつて、政権安定化のために靖国参拝を断念したことがあった。高市も「異次元の柔軟性」を旗印に、立ち位置を探ろうともがき「リアリストに変わろうとしている」(側近)。
高市はかつて安倍から「仕事は一人でやるもんじゃないんだよ」とたびたび苦言を呈された。松下政経塾に所属した際に松下幸之助からは「衆知を集める」ことをたたき込まれたという。
鉄の女が見せた孤高、安倍らに学ぶ衆知――。その間を揺れ動くリーダーの下、70年の節目を迎えた国民政党は未知の 政 に臨もうとしている。(敬称略)

