物価高騰で庶民の生活が苦しくなっている。その象徴がお米だ。米価は小泉前農林水産大臣が実施した備蓄米放出によって一時的に下がった。だが、本年産米が店頭にではじめると、再び騰勢を強めている。そこで話題になっているのが地方自治体の判断に委ねられている「お米券」の配布だ。お米券を物価対策として取り入れるかどうか、自治体の判断は分かれている。一消費者としてはお米券を欲しいと思う。だが、お米券は、日本的な政治システムが作り上げてきた“既得権益”の象徴でもある。高市内閣が補正予算に計上した6000億円の重点支援地方交付金の何%かは、消費者に届かず農林省系列の団体や印刷、配送業者にまわってしまう。日本経済全体から見ればプラス効果が出るだろうが、事業を請け負う団体は高級官僚の天下り先になったりする。
要するに真っ当な経済対策の裏に既得権益の温床が隠されているのだ。コストがかかるとう事実の重みが、自治体の選択の最大の動機だろう。だが、その裏をよく見ると政府の事業にまとわりつく既得権益層の影がチラついているのだ。このことを快く思っていない自治体関係者もいる。だが、ほとんどの消費者はそんなことはお構いなしだ。消費者も賢くならなければならない。これに似た例は探せばいくらでもある。例えばコロナ全盛の時に実施された「持続化給付金」とか、「家賃支援給付金」の例は主要メディアでも報道された。経済産業省の事業だが、事業主体のサービスデザイン推進協議会(サ協)は受託した事業をそのまま電通に丸投げした。電通はそれを子会社や外部の企業に分割して再々発注。会計検査院のその後の調査では、最大9次までの下請けが確認されている。
元請け、下請け、再下請け、再々下請けなど、各段階で手数料が発生する。事業の原資は税金だ。かくして税金の“中抜き”が実現する。庶民の生活苦改善を名目とした政策に、雲霞のごとく利に聡い金の亡者たちが集まるのだ。これに官僚や政治家が暗黙の了解を与えている。これが既得権益に犯された日本の政治システムの実態である。お米券は善政である。だが、善政に既得権益者が絡みつくと政策のスピードがガクンと落ちる。それだけではない。不公平感や癒着、汚職、贈収賄が蔓延する。国家予算を国民本意に使うためには、システムに巣食っている既得権を少しずつ剥ぎ取っていくしかない。それが政治家に課された責務だろう。一消費者としてはお米券は心情的には欲しい。だが、日本再生に向けたささやかな思いとして、今回のお米券には反対する。
