自民党と日本維新の会の連立政権が大きな壁にぶち当たったように見える。維新が提案した議員定数の削減法案は、審議もされないまま先送りとなった。吉村代表は「スピード感なさすぎて残念に思います。審議すらされていない。茶番劇だ。結論を出さないでしょ、(政治資金と定数削減)どっちも。そんな国会まっぴらごめんです」と数日前に野党に対して啖呵を切った。これに対して立憲民主党の安住幹事長は「顔を洗って出直してこい」と逆襲、まるで子供の喧嘩みたいだ。いまどきの子供はこんな無意味な喧嘩はしないだろう。これが国会議員の論争かと言いたくなるような体たらくだ。国民から見れば、今国会の最重要法案は物価対策だ。それは野党の協力を得て成立した。国会も高市政権も最低の義務は果たしたことになる。次いで重要なの政治資金と定数削減問題。

どちらも持ち越した。吉村代表は審議すらしない国会に怒りをあらわにした。気持ちはわからないわけではない。だが、国民の一人として「吉村さんに異議あり」と言いたくなる。議員定数削減が重要であることはよくわかる。政治家や政党、政権の姿勢を示す意味では大事な法案だ。「身を切る改革」が維新の存在意義であることを考えれば、連立政権入りに合わせて党としての主張を改めて提案した。わからないわけではない。だが、短期間の臨時国会である。優先順位としては政治資金改革が先だろう。それを成立させた上で議員定数の削減を提案すべきではなかったか。定数削減を強調する吉村氏の手法は、来るべき総選挙に向けた維新ファーストでしかない。まして自維がまとめた法案は、1年以内に成立しない場合は自動削減を義務付けている。いくらなんでもやりすぎだろう。

まるでトランプ氏のようだ。America FirstでありMake America Great Againだ。連立政権入りした「維新のお通りだ」に似た響きがある。国民のためというより維新のためだと聞こえる。議員定数削減も大事なことは承知している。だがこの時局で考えるべきことは減税の実現であり、そのための予算の無駄の排除ではないのか。吉村氏が租税特別措置や各種基金の見直しを「身を切る改革」の一つとして強調すれば、維新の支持率は劇的に上がるのではないか。手練手管の自民党は、できないと知りつつ定数削減法案を共同提出した。その真意を理解しないまま、犬の遠吠えのように議員定数の削減にこだわる吉村氏。国会議員ではないものの、政治家としての資質に“疑義あり”と言いたくなる。物事には優先順位がある。とりわけ国会というところは、この順位を間違えると致命傷になりかねない。自維連立に刺さっているトゲが通常国会でどうなるか見ものだ。