来年度予算案が閣議決定された。総額は122兆3092億円。全年度比7兆1114億円増である。就任当初から主張していた「責任ある積極財政」を貫いた。これに対して読売新聞は「2年連続で過去最大を更新した。税収も過去最高を見込むが、財源不足を国債発行で埋める苦しい財政運営が続いている」と批判的な評価をしている。中身は後述するが日本の新聞業界の雄ともいうべき読売新聞が、まるで朝日新聞のような論調だ。来年度予算の批判をするのは大いに結構。ただ、この予算を見て何をどう見れば「苦しい財政運営が続いている」と書けるのだろうか。一例を挙げれば国債依存度だ。手のひら返しの石破政権が閣議決定した今年度の一般会計予算における依存度は24・9%。27年ぶりに30%を下回ったことで当時評価された記憶がある。過去最高の規模になった来年度はそれをわずかながら下回っているのである。これを称して「苦しい財政運営がつづている」と言えるのだろうか。

国債依存度が低下した理由はいくつかあると思う。最大のものは税収の見込み額が大幅に増えたことにある。来年度の税収総額は83兆7350億円。前年度の当初見積もりに比べると3兆円強増えている。有するにこれまでは税収見積もりを低く抑え、これを超える税収があった場合は、国債の買い入れ償却にまわすなど、財政健全化に勤めていたのだろう。それを多めに見積ったのが高市政権である。読売新聞は「物価高や好調な企業業績を背景に、所得税、法人税、消費税の基幹3税でいずれも大幅増を見込む」と解説する。税収を多めに見積もれば「苦しい財政運営が続く」となるのだろうか。もちろん結果次第だ。来年度の秋の補正予算で税収の減額修正という事態になれば、同紙の主張にも説得力がでる。それを予想しているのなら記事本文の中で、そのことをきちっと説明すべきだろう。ひょっとすると同紙は来年度の景気減速を予測しているのかもしれない。だとすれば、それを見越した積極財政は憲政の常道ではないのか。積極財政に問題があるのではなく、読売新聞の来年度予算に対する見識が支離滅裂というべきだろう。

もう一つ気になるのが、国債の発行額だ。新規国債の発行額は総計が29兆5840億円となっている。前年度比で9369億円増えている。個人的な懸念は税収の見積もりを大幅に増やしても、新規国債の発行が増える見通しになっていることだ。これも来年度が終わってみないとなんとも言えないのが、積極財政でも税収が見積もり以上に増えるまでには時間がかかるのだと思う。健全財政のためにも積極財政が必要で、19日の当コラムで書いたようにダイナミックスコアリングの精緻化が必要なのではないか。何よりも高市政権は、前政権が悉く手のひら返しをしたのに比べ、初志貫徹しているところが評価できる。日本には潜在的な能力がありと思う。その力を押さえつけてきたのが財政健全派だ。何年か先になって政治家や官僚、学者にメディアなど日本の為政者の間にそれとなく刷り込まれていたザム心理教の教義が、高市内閣の「責任ある積極財政」によって跡形もなく雲散霧消する日が来ることを期待したい。ともあれ積極財政は来年度に向けた明るい微かな希望の灯火のような気がする。