▽イラン最高指導者、国民「数千人」死亡を認める-米国の責任だと糾弾<bloomberg日本語版>2026年1月17日 at 22:28 JST
- ハメネイ師、「残酷かつ非人道的」殺害は米・イスラエルが支援
- 死者数は人権団体などによる推定約3500人と一致

イランの最高指導者ハメネイ師は17日、反政府デモで「数千人」が今月死亡したと述べ、今回の騒乱で発生した死者数の規模を初めて認めた。
ハメネイ師は国営テレビで中継された公開会合で、「残酷かつ非人道的に」殺害された人々もいると述べたが、詳細には触れなかった。米国とイスラエルが殺害行為を支援したと同師は非難し、それを裏付ける証拠があると主張した。
イランには戦争を開始する意図はないが、国内外の犯罪者を罰せずに済ませることはしないとも述べた。
ハメネイ師はまた「イラン国民にもたらした死と損害、糾弾」がトランプ米大統領に責任があると主張し、ワシントンの目的はイランを軍事、政治、経済的支配下に置くことだと非難した。

ハメネイ師が示した死者数は、人権団体などによる推定約3500人と一致する。これらの団体は2万2000人を超える国民が拘束されたと推定している。
イランの人口は約9200万人。反政府デモは同国史上最長のインターネット封鎖の中で続けられている。
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原題:Iran’s Supreme Leader Acknowledges Thousands Killed In Unrest(抜粋)
▽パーレビ元皇太子、体制転換を望むイラン国民の象徴的存在に急浮上<bloomberg日本語版>2026年1月19日 at 0:54 JST
- 体制崩壊後の移行期を見据え、自らの役割を模索するパーレビ氏
- 国民の怒りの受け皿となる一方で、王政復古への懸念や内部対立も

先日、イラン西部ホッラムアーバードの広場で、群衆の歓声に包まれる中、ある男性が長年にわたり政治的タブーとされてきた行動に出た。王政時代の象徴であり、公の場では禁止されている「獅子と太陽」旗を堂々と掲げ、その様子を捉えた動画がソーシャルメディア上で拡散された。
その前日、亡命中の元皇太子でパーレビ元国王の息子であるレザ・パーレビ氏が、イラン国民に抗議運動への参加を呼びかけ、さらに数千人が街頭に繰り出していた。
イラン当局が今回の抗議活動を残酷な手段で鎮圧したとされる中、米ワシントン郊外に住むパーレビ氏は、意外にも象徴的な存在として浮上している。イスラム体制の打倒を目指して40年にわたって続けてきた活動が、ついに一定の影響力を持ち始めた兆しが見えている。
パーレビ氏は長年にわたり、崇拝と同じくらい嘲笑の対象にもなってきた。そんな同氏がイラン政府に対するこれまでで最大規模の国民的反発の中心人物となったことは、イラン国民の不満がいかに深まっているかを浮き彫りにしている。
イラン北部カラジに住む会社員の男性は、政府の報復を恐れて匿名を条件にテキストメッセージで取材に応じ、「パーレビ氏を支持していない人もいるが、イランでは今、ある共通認識に達している。今はこの問題で議論している時ではない。少なくとも今は、同氏が指導者として最もふさわしい選択肢だ。イスラム政権が崩壊した後に選挙を行い、そこで決めればいい」と指摘した。
しかし、パーレビ氏とその支持者は既に厳しい状況に置かれている。トランプ米大統領は、元皇太子がイラン国内で十分な支持を得ているか疑問を呈し、イランへの攻撃計画を当面棚上げする判断を下した。
トランプ氏は15日、ロイター通信の取材に対し「パーレビ氏はとても感じが良さそうだが、母国でどのように受け入れられるかは分からない」と語り、「祖国が同氏の指導力を受け入れるかどうかは分からないが、受け入れられるのであれば、私にとって問題はない」と述べた。

米政権がパーレビ氏を明確に支持しない背景には、イラン国民の間で意見の分かれる存在であることがある。しばしば批判されるのは、政治経験の乏しさやイスラエル寄りのスタンスに加え、半世紀近く祖国を離れ、同氏の熱心な支持者の一部が他の反体制派人物を攻撃している点だ。攻撃されている他の反体制派には、女性の権利を訴え続けイラン当局に拘束されているノーベル平和賞受賞者のナルゲス・モハンマディ氏も含まれる。
英セント・アンドルーズ大学の現代史教授アリ・アンサリ氏は「パーレビ氏の存在感は、パーレビ朝への郷愁、イラン・イスラム共和国が47年間にわたり極めて無能であったこと、そして国民の拭いがたい絶望感の帰結だ」と指摘している。
元米国務次官補のバーバラ・リーフ氏は「パーレビ氏は非常に認知度の高い指導者であり象徴的な存在だ。そう言える人物はごくわずかしかいない」と語った。「これは、パーレビ氏が指導者としてどれほどの資質を持っているかというよりも、今の体制と、その体制が国民に強いてきた過酷で制限に満ちた生活にうんざりしている何百万人ものイラン人の存在を物語っている」と指摘した。
パーレビ氏は自らを次期国王ではなく、選挙が実施されるまでの移行期政府を率いる存在だと強調してきた。イラン国内の全ての民族や宗教グループに平等な権利を保障する民主的な体制を望むと述べているが、どのような政府や憲法を構想しているのか、具体的な内容は示していない。同氏はブルームバーグの取材依頼に応じていない。
同氏は16日、ワシントンでの記者会見で「私の目標はイラン国民が自らの運命を真に自分たちの手で切り開いていると、はっきりと示す決定的な最後の一歩を実現することだ。それは、権力を国民の手に取り戻すことだ」と発言。「私は同胞たちの支持を得ていると確信している」と述べた。
問題は、抗議運動の勢いを、最高指導者ハメネイ師に対する継続的で現実的な挑戦に変えられるかどうかにある。人権団体によれば、治安部隊はこれまでに少なくとも3400人を弾圧で殺害している。
パーレビ氏は1960年にテヘランで生まれ、当時のイラン帝国における「孔雀の玉座」の後継者として育てられた。父親のパーレビ国王は、近代化を推進しつつも権威主義的な統治者だった。女性には教育や就労の機会が与えられ、服装の自由も認められていたが、政治的には強く統制されていた。民主化運動や共産主義者、聖職者は秘密警察「サヴァク」によって監視され、しばしば投獄され、拷問を受けた。
1979年の革命へとつながる体制への反発が強まる中、当時のパーレビ皇太子は78年に米国へと送り出され、それ以降はイランに戻っていない。革命後、王政に忠誠を誓っていた政府高官や関係者の多くが処刑され、あるいは国外追放となった。

やがて、かつて王政下で弾圧されていた保守的な聖職者たちが政権を掌握し、政治と公共の生活にイスラム化を推し進めていった。女性にはシャリア(イスラム法)が適用され、髪と身体を覆うことが義務づけられた。アルコールは禁止され、企業や資産は接収され、宗教的少数派は抑圧あるいは違法化され、国家の柱はイスラム教シーア派に移った。
1980年代後半には、イランがイラクとの戦争を経て国家として再編されるなかで、パーレビ王家は表舞台から姿を消していった。米国でパーレビ氏は政治学を学び、イスラム主義体制への反対運動を続けたが、その支持基盤は主に国外のイラン人亡命者に限られ、規模も小さかった。
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しかしその後の10年間に、イラン国内の数百万世帯の屋根に違法な衛星放送受信アンテナが設置されるようになると、パーレビ家の存在は再び注目を集め始めた。


国外に拠点を置く民間のペルシャ語放送局、マノトTVやイラン・インターナショナルなどが登場し、露骨に王政支持、反体制、親イスラエルの立場を取った。これらの局は、イランに対する非常に効果的なプロパガンダ手段となり、パーレビ氏にとっても強い追い風となった。
革命前のイランを描いたドキュメンタリーや、ポップシンガーが登場する往年のテレビ番組、ディスコで踊る若者たちの映像などが家庭のリビングで映し出されるようになった。こうした映像は、革命後に生まれ、ちょうど成人期を迎えた世代に向けて放送され、インターネットの普及と相まって、体制側が情報アクセスを制限する力をさらに弱体化させていった。
サウスフロリダ大学グローバル国家安全保障研究所の研究員、アルマン・マフムーディアン氏は「パーレビ朝時代には、政治的自由を除けば、現在多くのイラン人が求めているものの多くがあった」と指摘。「体制は国内のすべての反体制派や政党を封じ込めてきた。誰かがその空白を埋める必要がある」と述べた。

ただ、知名度だけではパーレビ氏には限界があるとの見方も根強い。例えば、米国がベネズエラのマドゥロ大統領を排除した後、トランプ大統領は野党指導者のマリア・マチャド氏を支持せず、代わりに現体制との協調に動いた。マチャド氏は15日、トランプ氏にノーベル平和賞のメダルを贈呈したが、トランプ政権は同氏の国内支持の乏しさを理由に擁立を見送ったとされる。
仮にパーレビ氏が将来的にトランプ氏の支持を得たとしても、国内外のイラン人から長年にわたって浴びてきた批判を乗り越えなければならない。西側メディアで大きく報じられてはいるが、イラン国内におけるパーレビ氏の支持を客観的に測る術はない。というのも、体制外の政党や人物に関する政治的世論調査がイランには存在しないためだ。

特に米国やイスラエルと強く結びついた王政の概念は、いまなお多くのイラン人にとって受け入れがたい。当時のモサデグ首相がイランの石油産業を独占しようとする西側諸国に立ち向かい、王政に対しても権力を制限しようとしたことをいまだに誇りに思う人が多い。そのモサデグ氏は、1953年に米英が支援したクーデターによって失脚し、その結果としてパーレビ氏の父が再び権力を掌握した。
パーレビ氏がイランの指導者としてふさわしいかどうかという根本的な疑問もある。9000万人の多様な国民を擁する国家を率いるのに匹敵する規模の組織や機関を、これまでに運営・指揮した経験はない。
スタンフォード大学イラン学プログラムの責任者、アッバス・ミラニ氏は「軽薄で分断を招く存在だとか、何一つ運営した経験がないと否定する人もいる。しかし、私に言わせれば、同氏はこの40年間、一貫して連携の実現に努めてきた人物だ。常に成功してきたわけではないが、今こそそれが実現に近づく時だと思う」と語った。
パーレビ氏はペルシャ民族主義の象徴でもあり、それが多くの少数民族にとって問題視される要因でもある。特にクルド人など、かつて自治や独立を求めてきた地域の住民の間では、王政は弾圧と抑圧の記憶と結びついている。

さらに問題となっているのが、パーレビ氏の熱烈な支持者の一部だ。亡命先のイラン人社会の中でも、王政とパーレビ氏をイラン政府に代わる唯一の選択肢と信じ、それに同調しない者を激しく攻撃することで悪名高い。
こうした内部対立は、12日にロサンゼルスで行われたイラン系アメリカ人による連帯デモで暴力に発展した。王政支持のデモ参加者が、反体制と同時に反王政のスローガンが書かれたトラックを襲撃した。
だが、カラジで抗議に参加したイラン市民は、体制への怒りと終わらせたいという思いは、パーレビ氏の信頼性に関する立場の違いを超えて共有されていると語った。
「外ではパーレビ氏を支持するスローガンが叫ばれている」と述べ、「われわれの願いはただ一つ。体制からの移行、そして自由と選挙、民主主義の実現だ」と続けた。
原題:Iran’s Exiled Prince Is Buoyed by Nation Desperate for Change (1)(抜粋)
