高市総理の解散・総選挙に向けた記者会見の様子を、今朝主要メディアのニュースやテレビ、YouTubeなどで確認した。昨日は所用があって直接会見を見られなかった。突然の解散・総選挙、中道改革連合(中革連)という新党の結成などと重ね合わせながら、高市総理は「高市か、野田さんか、あるいは斎藤さんか」国民が選ぶ選挙だと問いかけた。これを聴きながら、日本もようやく国民の“覚悟”が問われる時代になったとの印象を強くした。高市総理は「総理大臣は高市早苗でいいのか、国民の皆様に選択していただく選挙だ」と強調する。中革連を意識したのだろう、これはある意味で大統領選挙のようなものだ。国民が直接日本の総理を選ぶ。間接民主主義の枠を超えた直接民主主義の実験でもある。高市氏は直接民主主義の導入を目指しているのだろうか。そうではないだろう。あくまで選挙戦術の一環だろう。とはいえ、結果的には今回の総選挙、高市氏を選ぶか、野田氏を選ぶかの選挙ということになる。
以前にもこの欄で書いたが、これは「強い」高市氏の「弱さ」を補う戦術だ。支持率が70%を超えている高市氏、国民には極めて強よそうに見える。だが基盤となる自民党の支持率は大きく伸びているわけではない。連立を組んでいる日本維新の会も、いろいろな問題を抱えている。強い高市氏の政権基盤は予想以上に「弱い」のだ。トランプ大統領が独裁的な権力を振り回している。日米同盟は本当に機能するのか。独裁国家・中国の習近平氏との関係もギクシャクしている。弱い政権基盤しかない高市氏が求めるのは、強い政権基盤である。自民党も裏金問題の禊(みそぎ)が終わっているわけではない。国民の間ではいまだに自民党に対して、ある種の“疑念”が尾を引いている。そんな中での解散・総選挙。とりあえず自民党と高市政権を切り離し、擬似直接民主制度のように「高市か、野田か」と国民に問う。これが控えめで慎み深い対応を好む日本人の感性に、ピタっと嵌まるかどうか、そこはわからない。
要は選挙の定義が変わる可能性があるということだ。選ばれる側と一緒に選ぶ側の責任が問われるのだ。閣僚が不祥事を起こせば、任命権者である総理の任命責任が問われる。直接民主主義は、選ばれる側と同時に「選んだ側」の責任が問われるのだ。年明けの4日、NHKが財界の新春懇話会出席者に今年はどんな年になるかインタビューした。この中で確か(間違ったらごめんなさい)、森美術館の館長を務めている片岡真美氏が、「今年はあらゆるものが再定義される年」と答えていた。トランプ氏は西側も敵になると、同盟国の定義を変えたようだ。財政も減税も財源も、あるいは政党やマニフェスト、選挙制度も再定義が必要だろう。「中道」ってなんだ。保守とか右翼、左翼も今までのようには通用しなくなっている。解散・総選挙も「国民の信を問う」のではなく、国民が直接次の総理を選ぶ選挙と、定義を変える必要があるかもしれない。混沌とした不透明な時代だけに、何事も再定義が必要になるかもしれない。
