大手町の片隅から 乾正人

国会に登院し、議員バッジを着けた高市早苗首相=2月18日

高市政権の発足からあっという間に200日が過ぎた。

2月末、米国とイスラエルがイランを攻撃し、ホルムズ海峡は事実上封鎖されたが、衆院選投票日は、たった20日前だった。もし、首相が衆院解散を「令和8年度予算が成立してからか通常国会が閉会してから」と常識的な判断をしていたら、衆院を解散できなかった。たとえ解散を強行し、国民に信を問うたとしても自民党は敗北必至だったろう。急激な物価高は洋の東西を問わず、政権与党にとって鬼門だからだ。

いまさらながら高市早苗は、大変な強運の持ち主である。

55年体制支えた赤坂の料亭

強運とともに、高市政権で驚かされるのは、首相が夜の会食をしなくても日本政治は、何事もなくまわっていく、という事実である。

政治面に毎日載っている「高市日誌」を見ても首相は、仕事が終わるとさっさと公邸に引っ込んでいる。会食の少なさは歴代トップだろう。

「政治は夜動く」のが永田町の常識で、昭和の時代は「料亭政治」とも称された。国会から坂を下った赤坂には、議員御用達の料亭が軒を連ね、議員や官僚、タニマチ(議員の支援者)らが、夜な夜な黒板塀の内に吸い込まれていった。昼間、国会で与野党議員が激突し、夜は同じ面々が、赤坂芸者のお酌で相好を崩して杯を重ねた。もちろん、野党議員へのお土産とお車代と称する封筒は欠かせなかった。自民党と社会党による馴(な)れ合いの「55年体制」を裏で支えたのが、「赤坂」だった。

自民党議員同士でも総裁選や人事の季節ともなると、「意見交換」と称した会合が各所で開かれた。赤坂では目立つと、隅田川を渡って向島に出かける猛者も少なくなかった。

赤坂の風景を一変させたのが、平成5年に誕生した非自民の細川護熙政権である。政治改革を標榜(ひょうぼう)した細川は、「料亭政治禁止令」を出した。おかげで料亭の灯は次々と消えていった。それでも「会食政治」は、場所を料亭からホテルやイタリア料理店、小料理屋などに変えながらも連綿と続いてきた。首相が、料理屋に与党幹部やメディア関係者を招いて一杯やりながら意見交換するのも日常の光景で、番記者は料理屋の入り口付近にたむろして出てきた出席者に話を聞くのが常だった。

一方、新聞記者もネタ元の議員や官僚を夜、安い居酒屋の個室に誘い、昼間聞けない本音や〝真相〟を探ることができて一人前だった。

「焼き魚定食」がニュースに

そんな永田町の常識をぶっ壊したのが、高市だった。何しろ夜の会食をほとんどしないので、首相の本音を知る機会は、記者のみならず与党幹部だってほとんどない。先月、昼休みに自民党副総裁・麻生太郎や幹事長・鈴木俊一らを官邸に招いて焼き魚定食を振る舞っただけでニュースになったくらい徹底している。

もともと彼女は、酒が嫌いではなく宴席を盛り上げるタイプだったが、ある時を境に無駄と悟り、その時間を勉強に充てるようになったのだろう。確かに、国民にとっては、首相が結果さえ出してくれればいいので、与党内の人間関係は関係ない。一杯やりながら懇親を深める「会食政治」大好き派にとっては寂しい限りだが。=敬称略(コラムニスト)