読売巨人軍監督の阿部慎之助氏が、長女に暴行を振るった疑いで現行犯逮捕された。即日釈放されたとはいえ、球団オーナーの山口寿一氏は「監督継続は許されない」と厳罰に踏み切り、阿部氏は辞任を余儀なくされた。この事件をめぐり、SNSなどでは現在も賛否が渦巻いている。

児童虐待事件が相次ぐ昨今、児童相談所や警察が「児童を守る」という大義を優先し、たとえ過剰反応になったとしても、その姿勢自体が咎められる筋合いはない。とはいえ、今回の事案で逮捕まで至るのが妥当だったのか、また山口オーナーの即断は正しかったのか。問題はこの2点に絞られる。

弁護士の橋下徹氏は自身のSNSで、児童虐待を防ぐためには過剰と言われるほどの対応も許容されるとしながらも、のちに間違いだと分かった場合は知事や市長など行政の責任者が謝罪する「社会的寛容」が必要だと指摘する。また、2ちゃんねる創設者のひろゆき氏は「親の仕事を元に戻したほうがいいと思う」と感想を漏らした。児童虐待が絡むセンシティブな問題ではあるが、誰にでも間違いはある。真相が明らかになった時点で行政トップが謝罪し、それを受け入れる社会の土壌も必要だろう。

今回の事件には、現代の世相を色濃く反映した要素が盛り込まれている。姉妹喧嘩の仲裁に入った阿部氏は、喧嘩を止めるためにもみ合いになり、暴力を振るったとされる。当事者である長女が「ChatGPT」に相談したところ、児童相談所への通報を勧められたため連絡。それを受けた児相が担当の渋谷署へ通報し、同署員が阿部邸に直行して逮捕に至った。阿部氏は当時、酒気を帯びていたという。

虐待事件が深刻化する中で、児相も警察も素早い対応を心がけたのだろう。その際、長女の通報をどれほど深刻に受け止めたのかが1つの論点になる。対応が遅れて大事に至れば、メディアから猛烈な批判を浴びる。仮に悪質な虐待であれば、悠長な対応など許されない。しかし、電話一本の通報から、時間をかけずに現場の真相を把握するのは容易ではない。児相も警察も、最悪の事態を回避するためには、どうしても過剰な対応をせざるを得なくなる。その心理は容易に想像がつく。

ただ、自宅に到着した警察は何を根拠に「現行犯」逮捕したのだろうか。その場でまだ暴行が続いていたわけでもあるまい。現に、渋谷署に連行してからわずか4時間後には釈放している。

筆者は、事件そのものの是非を細かく検証したいわけではない。仮に今回の逮捕が行き過ぎだったのだとしたら、どうやってこの事態を振り出しに戻せばいいのか、という仕組みの話をしたいのだ。阿部氏はすでに、人気球団の監督という社会的地位を失っている。

間違いは誰にでもある。誤認があれば謝罪して元に戻せばいいはずだが、いまの社会にはそれをスムーズに行うシステムがない。

私事で恐縮だが、少し前に地元の警察から一時停止違反で反則切符を切られたことがある。納得がいかず、罰金7,000円の支払いを断固拒否した。いくら待っても検察からの呼び出しが来ないため、しびれを切らして直接検察の担当者に電話で確認したところ、ずいぶん前に「不起訴処分」になったと言われた。

担当検事に「なぜ警察は連絡をくれないのか」と尋ねると、「警察にその義務はない」との説明だった。日頃は「市民のための警察」を強調するくせに、都合が悪くなると市民への配慮を一切放棄する。要するに、これが権力機関の「常識」なのだ。法務省が再審の抗告禁止(検察官の上訴権制限)に頑なに抵抗している姿勢にも通じるものがある。彼らは自分たちに不都合な法改正には、最後の最後まで反対する。

何も難しい議論をしたいわけではない。橋下氏の言うように、「今回の逮捕は行き過ぎでした」と行政が率直に謝罪し、当事者が速やかに現状復帰できる仕組みを社会に組み入れる。そんな当たり前のことが、なぜできないのだろうか。