財政法の勉強を始めている。現行の財政法は、GHQが主導した日本国憲法に合わせて昭和22(1947)年3月31日に可決成立し、翌4月1日に施行された。新憲法の施行はその年の5月3日、現在の憲法記念日である。明治憲法を排して新憲法を施行した最大の理由は「民主化」だ。軍国主義から、国民を主権者とした民主主義体制への大転換。これに合わせて財政法も衣替えした。すなわち「財政の民主化」である。国民の意向に沿った財政運営を目指すことこそが新法の狙いだった。
このように、憲法も財政法も時代の大転換に合わせて一新された。そして今、憲法の改正論議が盛んになっている。高市政権は来年の春までに改正草案を提示できるようにしたいと、強い意欲を明らかにしている。ようやく本格的な憲法改正の機運が見えてきた。
ところが、現行憲法とともに衣替えしたはずの「財政法」には、改正の“か”の字もない。昭和37年の部分改正を最後に、財政法の抜本的な改正は議題にすら上らなくなっている。一体なぜだろうか。
我が国の財政運営に関しては、個人的に2つの大きな疑問がある。「利払費」と「債務償還費」の扱いだ。
高市総理のブレーンともいうべきエコノミスト・会田卓司氏の著書『日本経済の勝算』によると、予算に計上されている利払費は、単なる「支出の総額」に過ぎないという。政府には借金もあるが、一方で巨額の預貯金や貸付金、保有する米国債の利払い収入など、多様なインカムゲイン(資産収入)を得ている。しかし現在の予算編成は、そうした収入には見向きもせず、単純に利払い費用だけを計上しているのだ。収入と支出を相殺した「ネット(純額)の利払費」にすれば、その支出額は大幅に減るはずである。
もう1つの疑問が「債務償還費」だ。会田氏によると、日本には「国債償還60年ルール」があるが、これについてかつての大蔵省(現・財務省)は、自民党の議員に次のように説明したという。
「国債の60年償還ルールというのは、あくまでも公債政策に関する政府の節度ある姿勢を示すために導入されたものであり、文字通りの減債、すなわち国債発行残高の減少を目指すものではなかった」(「日本経済の勝算」、75ページ)
なんのことはない。財政の「姿勢」を示すための建前に過ぎず、実際に税金を使った実質的な償還は行われていないというのだ。簡単に言えば、満期が来たら返済するのではなく「借り換え」だけで済ませている。だとすれば、そもそも一般会計予算にわざわざ多額の償還費を計上する必要などないはずだ。
本来、財政法というのは「健全財政」というドグマ(考え方)の上に成り立っている。税収の範囲内で財政支出を行うというのが基本原則だ。しかし、これでは時代の変化に対応した新たな財政需要を賄うことはできない。そこで例外規定が設けられた。それが同法第4条である。
「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。」
これが、いわゆる「建設国債」の根拠だ。一方で、赤字国債(特例公債)の発行は原則として禁止されている。だが、この原則に縛られていては国民の多様な要求に応えられない。そこで1965(昭和40)年の補正予算に合わせて、赤字国債の発行を特例的に認める「特例公債法」が誕生した。これ以降、政府は毎年のように特例公債法を成立(または更新)させ、赤字国債の大量発行を続けている。
とはいえ、日本の財政運営の底流に不気味に居座り続けているのは、やはり「健全財政」という建前だ。「税収の範囲内で歳出を賄う」という緊縮的な考え方を、現代風に置き換えたのが「PB(プライマリー・バランス=基礎的財政収支)の黒字化目標」である。政策的な歳出をすべてその年の税収等の範囲内に収めるという、呪縛のような目標が今も設定されている。
この硬直化した思考停止の構造に、真っ向からメスを入れようとしているのが高市早苗総理だ。
高市総理が掲げる「責任ある積極財政」。これこそが、財政法にいまなお付きまとう不健全な「健全財政主義」を根底から突き崩そうとする試みである。
戦後80年、そしてバブル崩壊に伴う「失われた30年」。一貫して日本の財政を牛耳ってきた財務省をはじめ、その方針に追従してきた政治家、官僚、経済学者、主要メディアなどの「日本政治の主流派」にとって、この方針転換は簡単には受け入れがたい地殻変動だろう。しかし、世界最大の資産大国となった現代の日本において、どちらの思想が本当に国民を豊かにするのか。本連載を通じて、冷徹に検証していきたい。(続く)