帰国したジャーナリストの安田純平さん=2018年10月25日、成田空港【時事通信社】

帰国したジャーナリストの安田純平さん=2018年10月25日、成田空港【時事通信社】

シリアで3年4カ月にわたって拘束され、人々の記憶から忘れ去られようとしていた安田純平さんが突如として解放され、サウジアラビア人著名ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏がトルコのサウジ総領事館に入ったまま忽然と消えた。10月に起きた一見して無関係とも思える非対称の2つの事件。点と点を結びつけて相互に関連しているのではないかと思考を巡らせた読者は相当な事情通だ。

カショギ氏殺害事件は、強権的なムハンマド皇太子と、独裁化の弊害を憂慮した愛国的ジャーナリストによる人権や表現の自由、民主主義をめぐる対立だ。ただし、それだけでは中東の政治情勢を理解したことにはならない。

今まで価値を持たなかった安田さんという存在が、ある政治プレーヤーにとってにわかに重要性を帯びたのは、カショギ氏が死んだという事実があったからに他ならない。安田さんはなぜ今解放されたのか。混迷する中東政治を読み解いてみよう。(中東ジャーナリスト・池滝和秀)

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 イタリアの政治学者マキャベリは、国家の生存には倫理的・道徳的な議論は無用と論じ、英国の政治思想家のホッブズは「万人の万人に対する闘争」との表現で、戦争と暴力の恐怖が渦巻く現実主義的な国際政治を分析した。今の中東は、碩学が描いた世界と大差はない。聖人君子のような指導者は見当たらず、国連も紛争には機能不全だ。改革を期待される若きムハンマド皇太子も、国内での苛烈な弾圧ぶりから、「中東の金正恩」との異名も持つ。

イスタンブールのサウジ総領事館に入るサウジアラビア人記者のジャマル・カショギ氏(右)=2018年10月10日【AFP時事】

イスタンブールのサウジ総領事館に入るサウジアラビア人記者のジャマル・カショギ氏(右)=2018年10月10日【AFP時事】

サウジ当局によるカショギ氏の殺害は、サウジが恐怖に駆られている裏返しだ。なぜカショギ氏は殺されなければならなかったのか。時計の針を2010年末に始まった民衆蜂起「アラブの春」まで戻してみよう。「アラブの春」は、独裁による抑圧や不平等、経済失政、人権感覚の欠如に不満を強めた民衆の一斉行動だった。

チュニジアのベンアリ政権、エジプトのムバラク政権やリビアのカダフィ政権が相次いで倒れ、シリアのアサド政権は内戦によって一時は政治生命の危機に陥った。その流れは世界最大級の産油国であり、財政的に恵まれたサウジにも及んだ。石油収入を配分する「レンティア国家」のサウジは、サウド家が富を独占的に管理し、王族と民衆の貧富の差が存在する。一見すると豊かなサウジでも、不満は内在している。

アラブの春で「政治的イスラム」が台頭

シリア入国後に行方不明になっているジャーナリストの安田純平さんとみられる男性。2018年7月31日までに動画共有サイトVimeoに掲載された【時事通信社】

シリア入国後に行方不明になっているジャーナリストの安田純平さんとみられる男性。2018年7月31日までに動画共有サイトVimeoに掲載された【時事通信社】

中東は、イスラム社会である。イスラムという宗教とは切っても切れない関係性にある。「アラブの春」で息を吹き返したのが、「政治的イスラム」と呼ばれる政治勢力だ。「政治的イスラム」とは、イスラムの価値観やイスラム法を規範として、政体の確立を目指す政治諸運動や思想潮流である。ウサマ・ビンラディン容疑者が率いた国際テロ組織アルカイダや、バグダディ容疑者がカリフ(預言者の代理人)を名乗った過激派組織「イスラム国」(IS)、ムスリム同胞団からトルコの公正発展党(AKP)、また1979年にイスラム革命で誕生した現在のイランの政治体制もこれに該当する。

「アラブの春」によって、「政治的イスラム」に位置付けられる諸勢力に空前のチャンスが到来した。前述のように、「政治的イスラム」の手法は、アルカイダやISにように暴力的なものから、草の根の民衆運動による政治参加を通じ、選挙によって権力をつかみ取ろうとするムスリム同胞団のような組織まで多岐に及ぶ。このうち、政治参加を積極的に進めた「政治的イスラム」は、「アラブの春」と極めて親和性が高かった。

イスラム的な平等や公正さを訴える声は、敬虔なイスラム信徒が多くを占める中東諸国の民衆に強く響く。ある程度の公正な選挙が各国で実施された結果、エジプトではムスリム同胞団が政権を掌握し、チュニジアでも穏健イスラム主義政党ナハダ党が選挙で勝利した。

このような「政治的イスラム」のパワーを利用して、小国ながらも政治的な存在感を高めてきたのが、安田さんの解放で大きな役割を果たしたカタールという国家である。カタールの人口は移民労働者を入れても、わずか270万人。大国サウジに隣接し、バーレーンなどのように「属国」の地位に甘んじかねない。だが、カタールは「政治的イスラム」をてこに、中東での政治的な影響力の拡大を図って、独自外交を展開してきた。

エジプトのムバラク政権崩壊後初めて招集された人民議会近くで、スローガンを唱えるムスリム同胞団の支持者ら=2012年1月23日【AFP時事】

エジプトのムバラク政権崩壊後初めて招集された人民議会近くで、スローガンを唱えるムスリム同胞団の支持者ら=2012年1月23日【AFP時事】

1996年に開局した衛星テレビ局アルジャジーラは、アルカイダの宣伝機関とも揶揄(やゆ)され、ムスリム同胞団にはその思想を中東やイスラム世界に宣伝する場を与えてきた。「アラブの春」は、「政治的イスラム」が伸長する空前のチャンスになると判断したカタールは、アルジャジーラなどのツールを最大限活用して、ムスリム同胞団などの政治勢力を後押しした。

サウジは2017年6月、エジプトやアラブ首長国連邦(UAE)、バーレーンと徒党を組んでカタールと断交したが、これは中東における「政治的イスラム」の対立構図をそのまま外交の舞台に持ち込んだ結果でもある。サウジなど4カ国に共通するのは、君主制であったり、エジプトのように軍部が「ディープステート」として影の支配者として国家を運営していたりする点だ。

カタールとトルコが巻き返しに

サウジアラビア人記者ジャマル・カショギ氏=2012年5月、ドバイ【EPA時事】

サウジアラビア人記者ジャマル・カショギ氏=2012年5月、ドバイ【EPA時事】

カタールもペルシャ湾岸諸国の中では、最も民主化の進んでいない国の一つである。ただ、豊富な天然ガス資源を背景に、国民の経済水準は世界最高レベルにあり、国民に不満が内在していたとしても、それが政権批判に転じる可能性が低い。カタールはこの「政治的イスラム」を外交のツールに選択することが可能となった。

4カ国による断交で、サウジからの陸路による物資輸入に依存していたカタールは窮地に陥った。それを救ったのがトルコであり、サウジの宿敵イランである。いずれも「政治的イスラム」によって政権基盤が成り立っていることが共通する。エルドアン大統領率いるトルコの公正発展党(AKP)政権は、「アラブの春」に先駆けて約10年も前に、国父アタテュルクによって上から強制された世俗化や脱イスラム化を苦々しく思っていた貧困層を中心に、トルコに息づいていた敬虔なイスラム信徒の支持を勝ち取った。中東においてトルコとカタールが同盟関係を結んでいるのは、「政治的イスラム」で密接に結びついているからに他ならない。

カショギ氏暗殺事件が、サウジとトルコの激しい政治的な対立に発展したのも、カショギ氏が「政治的イスラム」の代弁者だったことにも原因があるだろう。カショギ氏は、ただムハンマド皇太子の強権化を批判していたジャーナリストではなかった。サウジは、カショギ氏の「政治的イスラム」を擁護する主張を恐れていたのではないか。カショギ氏がムスリム同胞団のメンバーだったとの情報も流れているが、これは正しくない。ある在米アラブ人ジャーナリストは「カショギ氏は同胞団の思想に共感していた」と証言する。

リヤドの国際経済フォーラムに出席したサウジアラビアのムハンマド皇太子=2018年10月24日【AFP時事】

リヤドの国際経済フォーラムに出席したサウジアラビアのムハンマド皇太子=2018年10月24日【AFP時事】

米有力紙ワシントン・ポストも、民主主義や人権を訴えていたカショギ氏の本質を見抜けなかったのかしれない。もちろん、筆者は「政治的イスラム」を否定しているわけではない。ただ、中東世界において民主主義や人権を訴えることは、独裁的な現在の多くの中東の政権を脅かすことになり、イスラムという価値観に基づく対立をあおりかねない。カショギ氏は、こうした対立構造の中で、役割を果たしていた。

中東のメディアも、こうした分断構造の中で存在している。カショギ氏殺害で特ダネを連発している「ミドルイーストアイ」は、サウジがカタールと17年に断交した際、アルジャジーラとともに閉鎖を要求したメディアのリストに名を連ねていた。「ミドルイーストアイ」は、カショギ氏が「生きたまま切断された」と伝えたが、それらの報道には政治的な意図や悪意が含まれている可能性もあり、慎重に見極める必要がある。カショギ氏は「ミドルイーストアイ」に匿名で執筆しており、「政治的イスラム」を擁護する論調が顕著だった。

中東政治に巻き込まれた日本政府

トルコのイスタンブールでシリア情勢をめぐり会談した4カ国首脳。右から2番目がトルコのエルドアン大統領=2016年10月27日【AFP時事】

トルコのイスタンブールでシリア情勢をめぐり会談した4カ国首脳。右から2番目がトルコのエルドアン大統領=2016年10月27日【AFP時事】

そろそろ、本題に入ろう。安田さんがなぜ今のタイミングで解放されたのだろうか。トルコとカタールが「政治的イスラム」で強く結び付き、サウジと対立している中、安田さんの解放は、トルコとカタールにとって一つの政治的なカードになったはずである。

サウジは今回の暗殺事件で、明らかに国際社会やトルコを甘く見ていた。サウジがカショギ氏の暗殺の場としてイスタンブールを選んだのは、「政治的イスラム」諸勢力の安全地帯になっているトルコが、もはや安全ではないとのメッセージを与えるためだったのではないか。

これに対して、エルドアン大統領は逆襲に出た。暗殺を見過ごせば、「政治的イスラム」のリーダーを自任する存在として沽券にかかわると判断した。サウジがイスラム教2大聖地の守護者という地位を背景に、中東やイスラム世界の盟主を自任する一方、エルドアン大統領は、オスマン帝国という系譜に連なるイスラム指導者として、中東やイスラム世界に君臨することを目論んでいる。

今、サウジは無実のジャーナリストを冷酷に殺害したという人権感覚の欠如や強権的な政治姿勢に、国際社会の批判の矢面に立たされている。片や、カタールやトルコは、安田さんの解放を仲介することで、ジャーナリストの命を救い出すことに貢献したというプラスのイメージを世界にアピールする機会を得た。「政治的イスラム」諸勢力のスポンサー役であるカタールにとって、安田さんの解放を実現するのはそう困難なことではなかったはずだ。ただ、カタールの国益にならなかったからこそ、約3年も安田さんの解放に尽力することはなかった。

カタールの首都ドーハの高層ビル群=2015年1月12日【AFP時事】

カタールの首都ドーハの高層ビル群=2015年1月12日【AFP時事】

ただ、その状況はサウジが窮地に立ったことで変化した。トルコやカタールがその政治的なツールを総動員して、事を有利に運ぼうとした結果、安田さんは自由を得ることになった。カタールは安田さんの解放で数億円単位の身代金を武装組織に支払ったとの情報もあるが、政治的な利益はそれをはるかにしのぐとのしたたかな計算がある。

菅義偉官房長官は24日、サウジ人記者殺害で、「表現の自由、報道の自由にも関わるものであり、殺害を強く非難する」と述べた。サウジとの良好な関係に配慮してカショギ氏殺害事件で態度を明確にしていなかった日本政府。官房長官の発言は、カタール政府に対する返礼だったのではないか。カタールとトルコは、安田さん解放という外交的なカードを巧みに繰り出してきた。あくまで仮説だが、カショギ氏が殺されなかったら、安田さんは今、解放されなかったかもしれない。