上久保誠人:立命館大学政策科学部教授

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「日本学術会議」の新会員候補者6人を政府が任命から除外した。この政府の決定に対して、菅義偉政権の「学問の自由の侵害」を厳しく批判されている。本稿も批判に立つが、私は政権に学問の自由の侵害を許してしまった、日本学術会議と学者側にも問題があることも指摘したい。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)

日本学術会議の任命拒否問題の概略

 まずは、事態の概略をまとめたい。

 「学者の国会」と呼ばれる首相所轄の特別機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補者105人のうち、6人を政府が任命から除外した。
 
 日本学術会議の新会員に任命されなかったのは、松宮孝明立命館大教授、小沢隆一東京慈恵医大教授、岡田正則早稲田大教授、宇野重規東京大教授、加藤陽子東京大教授、芦名定道京都大教授である。「安全保障法制」(本連載第115回)、「共謀罪」(第160回)に反対するなど、政府に批判的な立場の学者である。

 現行の推薦制度になった2004年以来、政府が任命しなかったのは初めてで、この政府の決定に対しては、「学問の自由への侵害だ」などと批判する声が国内に広がっている。「学問の自由を保障する日本国憲法23条に反する」という重大な指摘も出てきている。

 日本学術会議は、政府に対して「6人の任命を見送った理由を明らかにすること」と、「改めて6人を任命するよう求める要望書」を提出することを出すことを総会で決定した。梶田隆章会長(東京大学教授)は「極めて重要な問題で、対処していく必要がある」と述べた。

 国会でも、事態を重く見た野党が合同ヒアリングを開催した。松宮氏ら任命を見送られた6人中3人が参加し、「会議が推薦した会員を拒否することは会議の独立性を侵すと考えるべきだ」「今後の学術に大きなゆがみをもたらす。法にのっとって手続きをする必要がある」と菅義偉首相を相次いで批判した。

 しかし、政府側は加藤勝信官房長官が「会員の任命権は首相にある」とし、「会員の人事を通じて一定の監督権を行使することは法律上可能。ただちに学問の自由の侵害ということにはつながらない」「推薦した人を義務的に任命しなければならないというわけではない」と述べた。そして、「政府としての判断を変えることはない」として、この決定を見直す考えはないことを強調した。

 また、菅首相は学術会議人事について、任命権者として「法に基づいて適切に対応した結果だ」と述べた。しかし、6人を除外した理由を答えることはなかった。

菅政権が「日本学術会議」に圧力をかける理由

 それでは、菅政権に「学問の自由の侵害」を許してしまった日本学術会議の問題を論じたい。日本学術会議とは、1949年に設立された政府への政策提言や科学者のネットワーク構築を目的とする政府機関である。現在は、内閣府の特別の機関の1つと位置付けられている。設置法では、首相の所管と明記される一方、政府からは独立して活動すると規定されている。

 会員は人文・社会科学、生命科学、理学・工学の分野で優れた業績のある学者の中から会議が候補者を推薦し、首相が任命することになっている。定員は210人。任期は6年で、3年ごとに半数が任命される。

 日本学術会議はその設立以降、「学術研究を通じて平和を実現すること」を最大の使命として運営されてきた。それは戦前、軍事に使われることを前提に研究を進めたことへの反省があったからである。

1950年に日本学術会議は、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」という声明を出した。その後も、1967年に改めて「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を出している。そして、2017年3月24日軍事的安全保障研究に関する声明」を発表した。その内容は、「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その目的、方法、応用が妥当かという観点から技術的倫理的に審査する制度を設ける」こと、そして「大学、学会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、『ガイドライン』等を設定することを求める」というものだ。

 この方針の背景には、防衛省・防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」が開始されたことがあった。2015年 に3億円で開始され、2016年には6億円、2017年には110億円に増額され、「科学研究助成金」などの研究助成金が減額されていく中、さまざまな学者がこれに応募していたのだ。その潮流に対して、日本学術会議は、「研究成果は時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され攻撃的な目的のためにも使用されうるため問題が多い」という懸念を表明し、この方針を決定するに至った。

 その後、全国の各大学・学会で「軍学共同」反対運動や「軍事研究」抗議活動が活発化した。国の防衛関連技術や、転用可能民生技術の研究への教員の応募を禁止する動きが続出したのだ

 要するに、日本学術会議の方針決定に基づいて、各大学・学会で事実上の「ガイドライン」が設定され、学者たちはそれに従ったということだ。そして、これが菅政権が日本学術会議に目を付けた理由なのではないかと思うのだ。

 菅政権は、日本学術会議に強い圧力をかけることによって、日本の学界全体の「学問の自由」を抑え込むことができると考えたのだ。言い換えれば、日本学術会議を「権威」として、それに学者が従う日本の学界の体質が、「権力」による「学問の自由の侵害」を容易なものにしてしまっているのだ。

学者の世界でも「学問の自由」を守り切れていない

 繰り返すが、菅政権の「日本学術会議の新会員の任命拒否問題」について、多くの学者が「学問の自由の侵害」だと批判を展開している。しかし、批判があふれている今の状況に疑問を呈したい。

 私は以前この連載で、学者たちが集い「学問の自由」「言論の自由」「思想信条の自由」を守る府であるはず大学に次第に広がる、自由な言論がやりづらい「空気」の存在を指摘したことがある(第112回)。

 例えば、安保法制の国会審議が行われていた時である(第109回)。さまざまな大学で、「安保法制成立に反対する声明」を学者が連名で出す動きが広がった。私は、学者の連名での意見表明というものに肯定的ではないが、百歩譲って、それも「言論の自由」だと認めることはできる。

 ところが、安保法制にたいして、主に「国際貢献」の観点から肯定的な考えを国会に呼ばれて表明した同志社大学の村田晃嗣学長(当時)に対して、同じ大学の学者たちが集団で「大学の名誉を傷つけた」と批判した。さすがにこれは、やりすぎだったのではないだろうか。

私は、それぞれの学者が安保法制に賛成でも反対でも構わないと思う。私は当時、安倍政権が安保法制を成立させることには反対の立場で論じていた(第115回・P1)。だが、1人の学者の意見を、集団で「大学の名誉を傷つける」と批判するというのは、大学が何を置いてでも死守すべき「言論の自由」「思想信条の自由」「学問の独立」に対して与える悪影響が大きすぎるのである。

 悪影響とは、さまざまな学問領域で先端を走るべき若手の学者たちが、萎縮して自由に意見を言えなくなってしまうことだ。学者として外国育ちの私には無縁な世界だが、日本の大学には「徒弟制度」のようなものが残っている。学者の間で師匠・弟子の上下関係が存在するのだ。

 連名で声明を出した学者たちは、おそらく多くの若手を「弟子」に持つ「師匠」だろう。仮に、弟子が自由に意見を表明して「大学の名誉を傷つけた」と師匠に非難されるとなれば、弟子は「破門」を恐れて沈黙するしかなくなってしまう。

 たとえ、直接的に師匠・弟子の関係でない学者の間でも、自由に意見を表明した結果、多数の学者から連名で「大学の名誉を傷つけた」と責められることになるのは面倒である。できればこの問題には触れないで沈黙しようということになってしまう。学内での自由闊達な議論は次第に失われ、重い空気が流れてしまうことになる。

 その上、問題なのは学生に対する悪影響である。学者は大学教員として、学生の成績評価者なのである。大学での成績は、学生の人生を左右することもある重いものであり、学者が学生に対して、ある種の「権力」を持っているのは明らかだ。だから、学者が自らの思想信条を明らかにするとき、授業の受講生である学生に対して、極めて慎重な配慮が必要になってくる。

 私は、論壇のさまざまな場で政治・社会問題に対して考えを表明する機会が多い。だからこそ授業等では、学生に対して「私と異なる意見を持っても全く問題がない。試験やレポートにそれを書いても構わない。むしろ、多様な意見は歓迎である」と繰り返し話をしてきた。しかし残念ながら、それでも試験の答案用紙に、私の意見をまるでコピーしたような答えを書く学生が少なくない。

 学者は、大学で学ぶ若者の「言論の自由」「思想信条の自由」「学問の自由」を守らねばならない。しかし、現実の大学教育の現場では、それは簡単なことではない。慎重に取り扱わなければならないことなのである。ところが、そのことに軽率な学者が多すぎるように思うのだ。

 そして、さらに問題なのは、憲法学を「平和を守る善い学問」とし、国際関係や政治学、安全保障研究、戦史研究、外交史研究、地政学、戦時国際法を「現実と称して戦争へ向かう悪い学問」というレッテルを貼るような空気が流れていることだ。日本のさまざまな大学で、そういう動きが広がっているように感じるのである。

 要するに、日本の大学で起こっていることは、学者がお互いの「学問の自由」を制限し合ってしまっていることだ。学者が自らの首を絞めるようなことはやめなければならない。すべての学者個人の「学問の自由」を完全に尊重し合わない限り、「権力」からの攻撃に対して、「学問の自由」を守り切ることなどできるわけがない。

政治家として愚の骨頂…「亡国」への道

 このように、日本学術会議という「権威」を中心とする学会には「学問の自由」を自ら制限してしまっている深刻な問題がある。

 しかし、それでも菅首相に強く言いたいことがある。絶対に「学問の自由」を侵害してはならないということだ。日本学術会議の新会員候補者から政府に批判的な6人を除外したことは、政治家として愚の骨頂である。即座に撤回すべきだ。

 菅首相は、歴史に学ぶべきではないだろうか。「権力」が国民を統制しようとしたとき、まず学者の「学問の自由」を攻撃した。それが一番攻めやすいからだ。しかし、学者から「学問の自由」を奪うことを皮切りに、国民の「言論の自由」「思想信条の自由」を抑えつけて、「権力」への批判がない社会を実現した先に待っているのは、「亡国」だということだ。

 戦前の日本がその典型例であることは言うまでもない。美濃部達吉の「天皇機関説事件」、京都大学で発生した思想弾圧事件「滝川事件」、矢内原忠雄・河合栄治郎(第190回)・津田左右吉らが、言論・著作活動を問題視されて大学教授職の辞職に追い込まれ、彼らの主著は発禁処分となった事件などが続いた。そして、軍部を批判できる者がいなくなった日本は無謀な戦争に突き進み、国土の大半が焦土と化してしまった。

 世界に目を向けると、1933年のドイツで、「ドイツ学生協会」の学生たちが、「非ドイツ的な魂」に対する抗議運動を行う宣言をし、ドイツ各地の大学などが所蔵するナチズムの思想に合わないとみなされた2万5000巻を上回る書物を燃やす「焚書」が行われた。これは、ナチスによる厳しい検閲と思想・言論・文化の統制の始まりとなった。

 ナチスは、ナチズムの考え方を強制する全体主義国家と化した。そして、ヨーロッパにおける第二次世界大戦を引き起こすが、連合国軍に敗北して無残に滅亡したのだ。本連載の著者、上久保誠人氏の単著本が発売されています。

『逆説の地政学:「常識」と「非常識」が逆転した国際政治を、英国が真ん中の世界地図で読み解く』(晃洋書房)

 現代は、保守や左派が主張する「絶対賛成」「絶対反対」で成り立つほど、単純にはできていない。どのような政治・社会問題でも、その現実的な解決策は、絶対的な「賛成」「絶対」の中間にある、多様な考えの中から見つけざるを得ないのだ。

 だからこそ、「言論の自由」「思想信条の自由」「学問の自由」を守ることが重要になってくる。政府に批判的な立場だからというだけで排除するようなことがあってはならない。

 社会から自由が失われるとき、人々は現実的な問題解決のすべを失い思考停止となる。その結果、衰退への道を歩むしかなくなってしまうのである。