マルクス新解釈、若き思想家
経済書「人新世の『資本論』」が、異例の売れ行きを見せている。出版から半年余りで25万部を突破し、新書大賞(中央公論新社主催)も受賞した。執筆したのは34歳のマルクス研究者、斎藤幸平・大阪市立大准教授。「気候危機や格差社会の根本原因は、資本主義にある」と指摘し、「コモン(共有財)を再生して資本主義に緊急ブレーキをかけ、脱成長を実現する必要がある」と説く。気鋭の経済思想家を取材した。(時事通信大阪支社 山中貴裕)
―本では経済成長が至上命題の資本主義と、二酸化炭素の排出ゼロを目指す脱炭素化は相いれないと指摘しています。
資本主義は人間や自然を徹底的に利用して、利潤を追求します。たとえ回復不可能なほど環境が破壊されても、資本主義は自らブレーキを踏むことはありません。その結果、人類の生存基盤である地球環境を破壊するレベルにまで突入した。こうした時代を「人新世(ひとしんせい)」と呼ぶことが提唱されています。
―タイトルにある「人新世」ですね。どういう意味ですか。
地質学の用語で、人間の経済活動の痕跡が地球上を覆った状態を指します。経済活動のコストを転嫁しようとしても、地球は有限ですから影響が跳ね返ってきてしまう。気候変動や新型コロナが象徴的ですが、先進国が直視しないといけない形でリスクが迫っている。それでも膨張を続ける資本主義が解決策なのか考え直さないといけません。資本主義が行うのは、外部への負担の転嫁だけですから。
―どういうことですか。
経済学では「外部化」と言いますが、私たちの豊かな生活は、グローバル・サウス(発展途上国)の資源や安い労働力を徹底的に収奪することで成り立っている。国内では非正規化を進め、途上国に負荷を押し付けた結果、500円のTシャツや300円の牛丼が手に入る。
―安価な商品は、収奪の結果ということですか。
そうです。しかもグローバル化はこうした過程を不可視化してきました。けれども、中国やインド、ブラジルが台頭する中で、地球上に外部化の余地がなくなりつつある。
―しかし、資本主義で生活が豊かになったのは事実です。
それは否定しません。ですが、このまま経済成長を求めても、より豊かになるかは別問題です。事実、新技術で効率化を図っても、経済成長と環境保護の両立は不可能であることを科学者たちも指摘しています。
人類の生存確率を上げる
―脱炭素化を重視する経済政策「グリーンニューディール」に批判的ですね。
はい。脱炭素化しても、石油の代わりに、リチウムやコバルトといったレアアースを膨大に消費する社会に変わるだけ。コカイン中毒からヘロイン中毒になるようなもので、問題は別の形で深刻化していきます。資源や製品の再利用を徹底する「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」にも死角がある。リサイクルにも当然エネルギーが必要になります。循環を実現することは必要ですが、経済規模を大きくしていいことの理由にはなりません。だから、「脱成長」に舵(かじ)を切る必要があるのです。電気自動車に変えるだけではなく、シェアリングして台数そのものを減らしていく。そういう根本的な発想の転換をしなければ、人類の生存確率は下がるばかりです。
―菅義偉首相は2020年10月、温室効果ガス排出を50年までに実質ゼロとする目標を掲げましたが、達成には30年時点で現在の排出量をほぼ半減する必要があります。
先進国は率先して脱炭素化を進める責任がありますが、同時にこれまでのツケを払う必要もあります。つまり、脱炭素化のために途上国の資源を奪わないというだけでなく、積極的な技術支援をやるべきです。日本はベトナムに石炭火力を輸出しようとしていますが、論外でしょう。
―人類が歴史上に使った化石燃料の半分を、冷戦崩壊後の30年間で使用したという指摘には驚きました。
米国流の新自由主義型資本主義が全世界を席巻し、成長を求める資本主義が加速しました。その結果が、気候変動なのです。だから「二酸化炭素を減らして経済成長をしよう」では、根本的な問題は解決しません。大量生産、大量消費の資本主義に緊急ブレーキをかけて、限りある資源を公正にシェアしていくシステムに移行しなければならない。世界には既に十分な富があるはずですし、人類の生存確率を上げるために緊急ブレーキが必要です。
資本主義以外のビジョンを
―スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんらの訴えは切実ですが、国内では欧米ほど環境問題の議論が広がりません。
危機はチャンスですが、今と違う魅力的なビジョンがないと切り替えられません。欧米の論壇では大胆なポスト資本主義の議論が進んでいることが、気候危機対策をめぐる批判や社会運動も活発化させています。
―日本では専門家の議論が弱かったと。
国内の左派リベラルには、資本主義そのものに挑んで豊かな社会にするんだという知識人も、政治家もいません。れいわ新選組の山本太郎さんが少し言いかけましたが結局、「反緊縮経済成長路線」に行ってしまった。包括的なビジョンを打ち出すのが不可欠です。
―ビジョンを打ち出すのが難しかった。
冷戦終結後、私たちは資本主義以外の社会を思い描くことができなくなっています。24時間コンビニや吉野家が開いていて、ユニクロ、アマゾンがあるのが当たり前になっている。その便利さが豊かさだと思い込まされている。ファストフードやファストファッションは根本的に見直さないといけませんが、それなしには生きていけないような生活、働き方が本来おかしいはずです。
―確かに労働環境は一向に良くなりません。
週休3日で労働時間を短くしたり、休みたい時に休めるようにすれば、例えば自炊したり、本を読んだり、ニットを編んだりする時間があるかもしれない。環境にも望ましいし、私たちのメンタルにもいい。そちらの方が「豊かな生活」だと思います。
ところが、私たちの身の周りのあらゆるものが商品になっています。生きるためには貨幣が必要なので、多くの人はかつてないほど必死に働きまくっている。生産効率は良くなったのに労働時間は減らず、ますます低賃金になっている。一方、大量に生み出される商品を売らなければならず、大量の広告や頻繁なモデルチェンジ、製品の計画的な陳腐化が進みます。そのせいで資源が無駄に浪費され、二酸化炭素の排出が続くのです。
市民が主体的に関与
―気候危機を乗り越えるために、「コモン」を再生して脱成長を実現する必要性を訴えていますね。そもそも「コモン」とは何ですか。
誰もが生きていくのに必要なものは共有財産として、「コモン」に戻していく必要があります。それこそがマルクスの基本的な考えでした。医療や教育、介護などの商品化を止め、お金を使わずにアクセスできるコモンに変えていくことが重要です。
―医療や教育などの他にコモンはどんなものがありますか。
水や電気、インターネットもそうですね。現状ではお金がない人は使用できず、排除される。一方、対価を払えばどれだけ使って環境負荷を掛けても、好きにしていいということの裏返しです。人類共通の自然資源や知識は本来お金を払ったからといって、好き勝手に使って良いものではないはずです。
―そのコモンを広げる必要があると主張しています。
この30年間で医療や教育が民営化されてきました。鉄道や郵便もそうです。効率だけを考えれば田舎や離島のサービスは廃止しようとなる。お金がある都会の人はいいが、お金のない人や地方の人は切り捨てられる。結果としてGDPは増えても、実質的な生活の質(QOL)は下がっている。新自由主義がもたらした結果です。
―コモンを再生した例はありますか。
単に無償化したものを受け取るのではなくて、いろんなものを自分たちでケアし、管理するのがコモンです。パリは民営化されていた水道を再公営化しましたが、それで終わりではありません。運営に市民の代表が入って意思決定したり、利益の一部を自分たちで使えたりする。町中にウオーターサーバーがあって、市民が無料で飲めるようになりました。つまり「市民営化」ですね。水源の環境保全にも投資するなど、利益優先の民営事業体ではできない活動をしています。
―消費でなく生産管理に市民が関与するのが重要なのですか。
はい。関心のある人が主体的に参加できる領域を広げていくわけです。機密の多い原発などの閉鎖的な技術には、市民の声を反映することができませんが、太陽光など開放的で、分散型の再生エネルギーに変えれば、地域住民の管理が可能です。社会的な所有により何をどう生産するか、住民が主体的に決められるのがコモンなのです。
―働き方も変わりますか。
脱商品化が進んで、仮に家族で40万円掛かっていた生活費が20万円で済むなら、今までより少ない労働時間で生きていける。賃金を得るために働くプレッシャーから解放されます。そうすれば、必ずしも貨幣に現れないような家族で過ごす時間やボランティア、趣味の時間が増えていく。新しい豊かさの基盤になると思います。
つながり構築し対抗
―労働時間が半分で生活できるなら、もっと人間的な暮らしができそうです。
労働時間の短縮は重要です。脱炭素化できたとしても、今までの社会の延長だったら意味がない。例えば、電気自動車を作るために過労死するほど働いたり、500万円の電気自動車を買うためにローンを組まざるを得なかったり、その特需が過ぎ去った後に不景気で首を切られたりする経済を持続可能と呼ぶのでしょうか。労働時間を短くしてこそ、脱成長といえるのです。
―ただ、脱成長というと清貧のイメージが付きまといます。
いえ、脱成長がむしろ豊かさにつながることはこれまでに話した通りです。清貧でもなければ、里山暮らしでもない。脱成長と言うとすぐ農村に帰ってという話になりますが、それとも違います。私が注目するのはアムステルダム、バルセロナ、パリといった欧州の大都市での取り組みです。分散も大事ですが、まず都市でコモンを増やしていく。
―都市部でコモンですか。
パリの水道のコモン化の話をしましたよね。さらに進んでいるのがバルセロナです。例えば、車の利用に大胆に制限をかけて、歩行者エリアを増やす。路上で遊べて、公園にもアクセスしやすく子育てしやすい街を目指している。道路という都市空間のコモン化です。車を排除することで、大問題だった大気汚染も減り、公共交通を同時に拡充させて、脱炭素化を目指すというわけです。産業界の思惑に左右されるのではなく、街づくりも日常的な観点から市民が訴えないといけません。日本ではすぐスマートシティーの議論になり、「GAFA」やトヨタのような大企業が出てきますが、市民が管理できないIoT(モノのインターネット)のテクノロジーが張り巡らされるのはディストピアになりかねない。
―ただ、GAFAなどプラットフォームの影響力は強まる一方です。
プラットフォームもコモンにしようという動きが、世界中で生まれてきています。自分たちで出資して民主的なプラットフォームをつくろうというわけです。欧州ではタクシー運転手が集まって自分たちでウーバーのようなシステムをつくり始めている。共同組合に出資してフリーソフトでシステムを構築して、透明性があるアルゴリズムをつくったり、自分たちで再分配したりする。民泊や仮想通貨でも同様の取り組みが始まっています。
―今ある技術を活用して乗り越えるということですね。
GAFAをなくすことはできませんが、ネット上での囲い込みに対抗して、ネット空間にコモンをつくり出せば、広い人々とのつながりを再構築できると思います。今ある技術を拒否するべきではありません。
富裕層による環境負荷
―国連環境計画は、二酸化炭素の排出量は毎年増え続け、今世紀末には平均気温が3・2度上昇すると試算しています。残された時間は多くないかもしれません。
コロナで世界経済は減速しましたが、日経平均も含めて株価は世界的に上がり、富裕層は既に資産を取り戻している。ランボルギーニやロレックスがかつてないほどに売れていますが、コロナで海外旅行ができない富裕層が買っています。誰が地球に一番環境負荷を掛けているかは明らかで、スポーツカーやプライベートジェットに乗る人たちが一番悪い。プライベートジェットがなくなっても私たちは1ミリも困らない。金を払ったという理由で、二酸化炭素を大量排出するのは許されるべきでないし、富裕層のライフスタイルを抜本的に見直させるべきです。
―コモンを再生するとの立場ですが、国の存在も否定していませんね。
ひとつには富裕税や累進課税など大胆な課税が重要です。(仏経済学者の)トマ・ピケティも80~90%の所得税を提唱していますが、導入すれば金もうけに意味がなくなります。5000万円稼いでも6000万円稼いでも、課税で手元に残る金額が変わらないなら、「金もうけはもういいや」となります。あるか分からないトリクルダウンを待つよりも、規制して富を再分配するのが一番早い。
―政治に過度に期待するのではなく、社会運動が重要だとも指摘しています。
日本は選挙によって社会は変えられるという希望的な観測が強過ぎて、社会運動が弱い。課税やガソリンの販売規制、石炭火力規制などは国が大胆に決めたらいいのですが、社会運動のない状態で規制をかけても、対応できる企業が金もうけをするだけです。
新資料でマルクス再考
―コモンの再生について、マルクスが研究していたのですね。
マルクスが考えたのは、アソシエーション(労働者の自発的な相互扶助)を広げる運動でした。ソ連のように全部を国有化する、今の新自由主義のように全部を商品化する、という両極端ではなくて、中間的な領域にコモンやアソシエーションを広げるという考え方です。国有も市場で媒介される経済活動もあってもいいが、社会主義か資本主義かではなくて、その間にあるのがコモンによる「コミュニズム」なんです。
―ソ連崩壊でマルクス主義は終わったものと思っていました。
ソ連もある意味では資本主義的な社会で、マルクスとそんなに関係はなかったと思っています。資本家がいない体にして、資本家の代わりを官僚がやっていた。肥大化した官僚組織は効率が悪く、米国にはかなわず崩壊しました。
―近年の研究では、「資本論」の第1巻出版後の15年間でマルクスが思想的な転換を遂げていたことが分かってきたそうですね。没後にエンゲルスがまとめた2、3巻にはその内容が反映されなかったと。
晩年に書き残した大量の研究ノートなどの読解で、マルクスが最後まで何を考えようとしていたかが分かってきました。晩年のマルクスは、自然科学だけでなく、ロシアや米国、南米、インドなどの共同体を熱心に調べていました。そうした共同体が19世紀まで生き延びた力の源泉を研究しており、当時のノートを読むことで「資本論」の議論を先に進められます。
―従来なかった解釈が新資料により可能になったと。
それ以外にも、ソ連が崩壊してさまざまな固定観念から解放されたのも大きい。私のようにソ連や冷戦を肌感覚で知らない世代が出てきて、しかも資本主義が行き詰まっている。日本で一番マルクスが読まれたのは戦後の数十年ですが、私が読んだ2010年代とは状況が全く違います。資本主義が絶好調な高度経済成長の時代と、格差や環境問題など資本主義の矛盾に強烈なリアリティーを感じる時代とで、読み方が変わるのは当たり前です。
―今だからこそマルクスの重要性が増しているということですね。
資本主義を分析して別の社会を開こうとしたのがマルクスです。ここまでのレベルで議論したのは歴史的にも他にいません。すべてを説明してはいないが、その後の知的な遺産も含めて、資本主義ではない社会を構想するための体系的な議論があるのはマルクス主義しかない。貴重な1人だと思いますし、使わない手はありません。
米国での原体験
―そもそもマルクスに興味を持ったきっかけは。
大学に入ったころからマルクスを少し読んでいましたが、階級と言われてもリアリティーを感じなかった。けれども、(05年に米国本土を直撃した)ハリケーン「カトリーナ」後にニューオリンズでボランティアをした際に、貧しいエリアの家が壊れたままの状態だったのを見て、米国の階級社会の現実に衝撃を受けました。
―米国での体験が大きかった。
その後の08年のリーマンショックも大きかったですね。日本では年越し派遣村が話題になりましたが、大学の友人たちも内定が取り消しになった。研究の根底には、弱者が経済に振り回される理不尽さへの怒りがあります。
―その後、ドイツの大学院に進学しますね。
ドイツ語でマルクスをしっかりと勉強したいというのがありました。ベルリンに「MEGA」(マルクス・エンゲルス全集の国際プロジェクト)の編集本部があり、その編集作業に関わることで、マルクスの環境問題への関心の深さに気が付きました。それが、東日本大震災の原発事故ともつながって、現在の研究テーマになっています。
(2021年5月3日掲載)