東京五輪の1年延期を含む9年間の監督人生の集大成。柔道日本男子の井上康生監督は、31日に行われた五輪初実施の男女混合団体で悔しい銀メダルに終わった。大会後、退任の意向を示した指揮官を男子73キロ級2連覇の大野は「男にすることができなかった」と目に涙を浮かべた。
監督人生はどん底からの出発だった。日本男子はロンドン五輪で史上初の金メダルなしに終わる。史上最年少の34歳で監督に就任したのは直後だった。火中の栗を拾う状況にも「どん底だろうが、頂点だろうが、情熱を持って取り組む覚悟が大事」と腹をくくった。
待ったなしの改革。代表の遠征時は選手もジャージーではなく、スーツ着用を義務付けた。畳の中でも外でも「最強かつ最高の柔道家」を掲げ、誰もが憧れる戦う集団を目指した。
華麗で豪快な内股を携え、2000年シドニー五輪を圧倒的な強さで制した。前年に亡くなった最愛の母、かず子さんの遺影を表彰台で誇らしげに掲げた姿は柔道ファンならずとも脳裏に焼き付く。東京五輪の代表選手たちは、そんな現役時代を羨望のまなざしで見ていた世代だ。
勝負の厳しさを誰よりも知る。2連覇確実といわれた続く04年アテネ五輪で惨敗。メダルにも届かなかった。現役終盤はケガとの闘い。「栄光と挫折。両方から学んだ経験が自分の財産」。監督の強みをこう言い切った。
選手が試合で勝てば努力をたたえ、負ければ「もっとサポートできた。勝たせることができなくて申し訳ない」と全ての責任を背負った。東京五輪は初日から4階級制覇。5日目に男子90キロ級の向翔一郎が3回戦で敗れて号泣したときには「必ずおまえに団体で金を取らせて帰らせる」と前を向かせた。
5年前のリオデジャネイロ五輪は金2個を含む全階級でメダル獲得。「もっと結果を変えられた」と反省し、「リオまでと同じ強化をしていては、東京では勝てない」と選手層を厚くし、ベテランにも若手にもチャンスを与えた。2020年2月の代表発表会見では、漏れた選手たちの名前を挙げ、むせび泣いた。
1年延期の東京五輪で日本男子は金メダル5個。選手たちから団体戦後、胴上げをされて宙を舞った。「9年間の素晴らしい経験を次なるステージに生かせるよう、さらなる努力をしていく」。強くたくましく、ときに涙もろい「柔道界の五輪の申し子」は大役を終えた。(田中充)