米財務長官のスコット・ベッセント氏が、先ごろ開かれたG20の国際会議の場で、「日本はインフレ率が2%に達しており、すでにリフレに成功している。もはや過去のようなリフレ政策を続けるべきではない」という趣旨の発言をしたせいだろうか。国内でも依然としてリフレ論争が続いている。個人的には、いまさらの議論に「喝」と言いたいところだが、裏返してみれば、高市早苗首相が掲げる「責任ある積極財政」の真意が依然として十分に理解されていないことを意味する。
ベッセント財務長官の発言には、いくつか疑問を感じる点がある。一例を挙げれば、「アベノミクスは成功した」とする評価だ。個人的には、アベノミクスは成功どころか「失敗だった」と考えている。日本経済への貢献があるとすれば、健全財政一本槍だった国内の雰囲気を大きく転換したことだろう。高市首相の「責任ある積極財政」への道を切り開いたという点では評価できる。
アベノミクスはデフレ脱却に向け、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という「3本の矢」を用意した。だが、実際には財政政策も成長戦略も十分な役割を果たせず、もっぱら金融政策に依存する形となった。その金融政策も量的・質的金融緩和が中心で、日銀が国債を大規模に買い入れ、金融機関が日銀に持つ当座預金を膨らませた。企業の資金需要を直接喚起する政策は十分とは言えず、黒田東彦総裁が主導した「異次元緩和」にデフレ脱却の大きな部分を託したのである。
当時、リフレ派の影響力が強かったことも事実で、若田部昌澄氏や本田悦朗氏ら著名なリフレ派の経済学者・エコノミストが政策論議に大きな影響を与えた。高市首相が掲げる「責任ある積極財政」も、「財政政策」「金融政策」「成長戦略」という大枠ではアベノミクスと重なる。政策ブレーンにもリフレ派とされる人物がいる。だが、中身を見ると「財政政策」と「成長戦略」が車の両輪となっており、アベノミクスとはかなり性格が異なる。
しかも財政政策では、政府債務残高の対GDP比を引き下げるなど、財政の持続可能性にも配慮する姿勢を打ち出している。さらに、成長投資を通常の歳出とは区分して管理する「強く豊かな日本投資枠」を設けるなど、具体的な制度設計も進めている。アベノミクスとの最大の違いは、大胆な成長戦略にある。政府の財政政策と企業の投資戦略を連動させ、民間の成長投資を誘発しようとしている点だ。
企業は投資に伴うリスクを勘案しながら慎重に判断を下すのが普通である。経済全体が長くデフレ下にあれば、企業の投資姿勢も極めて慎重になる。ここに、高市首相が指摘する「日本が過度な投資不足に陥っている」大きな原因がある。これを打開するため、まず政府がリード役を果たす。これが「責任ある積極財政」の“肝”と言っていいだろう。
リフレ派は、金融緩和によってデフレからの脱却を図ることを重視する考え方であり、その政策思想には市場機能を重視する経済学の影響もみられる。アベノミクスがこうした考え方に強く依存したのも、当時の経済環境を考えれば理解できる。とはいえ、その後導入されたイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)は、日銀が長期金利を強く誘導する政策であり、市場による金利形成を大きく制約した。結果として、アベノミクスは金融政策への依存を強めながら、十分な成長力を引き出すことができなかった。
これに対し、「サナエノミクス」は政府が率先して成長分野に資金を投入し、それを呼び水として民間投資を引き出そうという政策だ。国家予算が企業に蓄積された内部留保を投資に向かわせる先導役を果たす。政府が一定のリスクを引き受けることで企業の投資リスクを軽減し、民間資金を成長分野へ誘導しながら、日本経済全体の成長につなげるという構想である。この意味で、サナエノミクスはアベノミクスとはかなり異質なプランである。
強いて言えば、「官民一体型の成長路線」とでも呼ぶべきだろう。この路線は、戦後の日本経済を支えた高度成長期の産業政策にも通じるものがある。「失われた30年」を経て、日本は国際的にも広がっている官民連携型の成長路線へ本格的に踏み出そうとしている。いまだにリフレ派を巡る議論が話題になること自体、日本の経済政策論議が過去の枠組みにとらわれていることの象徴ではないか。
むしろ問題なのは、デフレ時代にアベノミクスが採用すべきだった路線が、インフレ時代になって花開こうとしていることだ。国債の積極的な発行を容認するMMT(現代貨幣理論)でさえ、財政拡大の制約として重視するのがインフレである。物価上昇が加速しかねない現在の環境で、「責任ある積極財政」に求められるのは、成長投資を進めながら、それによってインフレを過度に加速させない政策運営だ。
別の言葉で言えば、「マーケットとの対話」である。