◇財務省幹部人事で衝撃広がる◇

7月31日に片山さつき財務大臣によって公表された局長級以上の財務省幹部人事。この時は、大きな波紋は広がらなかった。それから数日たった7日、財務省は局長級以下の幹部人事を発表した。ここで永田町と霞が関に衝撃が広がった。

主要メディアも、ことの重大さに気づいたのだろう。ネットを含め、高市早苗首相による「強権人事」に注目が集まっている。

何が衝撃を呼んだのか。

財務省にとって「10年に1人の逸材」とも評され、次期事務次官の有力候補とみられてきた一松旬(ひとつまつ・じゅん)主計局次長が、8日付で東京税関長に転出したのだ。

東京税関長は決して一般的な意味での「左遷ポスト」ではない。しかし、現職の主計局次長から、次期次官候補と目されてきた人物がこのポストに転出するのは異例だ。明らかな懲罰人といってもいいだろう。

一松氏は財政規律を重視する立場の中心的な官僚の一人とみられてきた。高市政権が進める積極財政や減税路線との政策的な距離が、今回の人事の背景にあるのではないかとの見方が出ている。新次官に就任したに宇波弘貴(うなみ・ひろたか)主計局長も財政健全派の中心人物と見られている。次官級を避けて次の世代の次官候補を左遷したところに今回の高市人事の特徴がある。

朝日新聞(Web版)は、一松氏について、岸田文雄首相(当時)の首相秘書官などを歴任したエリート官僚だと報じている。早くから将来の次官候補と目されてきた有力官僚であり、今回の東京税関長への転出は極めて異例だ。次世代のエリートを左遷したことが、この人事の衝撃の大きさ増幅したと言えるだろう。

同紙によると、官邸幹部は今回の人事について、「(高市)政権にあまり協力的でなかったから」と説明しているという。その程度のことでは片山さつき財務大臣も了承しなかっただろう。今回の懲罰人事は「陰の支配者」を意味するDS(ディープ・ステイト)への、権力側からの挑戦ではないか。財務省解体の匂いを感じるのだ。

一松氏は開成高校から東京大学法学部に進み、1995年に旧大蔵省に入省した。財務省内では早くから将来の次官候補と目されてきたエリートで、「10年に1人の逸材」と評されてきた。想像を交えて言えば、この人の官僚人生にはこれまで「挫折」という言葉はなかったのではないか。その意味では、今回の人事は初めて味わう大きな挫折かもしれない。

一松氏は、岸田政権では首相秘書官を務め、その後、財務省に戻って大臣官房審議官などを歴任した。2026年には主計局次長を務め、社会保障政策などに関する政府の会議にも財務省側の出席者として参加している。

今回の人事が高市首相の意向を反映したものだとすれば、財政健全化を重視する官僚と積極財政を掲げる政権との緊張関係が、人事という形で表面化したことになる。

◇省庁の幹部人事、政治主導で一元化◇

2014年、安倍晋三政権下で内閣官房に内閣人事局が設置され、省庁幹部人事の一元化が図られた。政治主導・官邸主導の強化や、縦割り行政の打破などが目的だった。これによって、各省庁の幹部職員の人事について、官邸が強い影響力を持つ仕組みが整えられた。

ただ、安倍元首相をはじめ、その後の政権が、この制度をどこまで積極的に人事権として行使してきたかについては、さまざまな評価がある。今回の人事で注目されるのは、その人事権が高市首相に一刀両断という形で行使したことだ。恩師と仰ぐ安倍元首相もできなかった人事権の行使――。そう受け止める向きもある。

とりわけ「役所の中の役所」といわれる財務省は、政治主導や官邸の意向だけでは動かず、省内の人事序列を重視してきたとされる。その財務省に対し、高市首相が「政権の方針に従わなければ、人事権を行使する」という強いメッセージを送ったということだ。

これが政権の安定につながるかどうかは、まだ分からない。

むしろ、財政健全派、あるいは「アンチ高市」派が、これを機に政権への反発を強める可能性もある。先の衆院選で316議席という圧倒的多数を得た高市政権を、反対勢力が揺さぶることができるのか。これから始まるであろう権力闘争の一つの見ものでもある。

逆に、今回の人事をきっかけに、政権に対する抵抗が沈静化する可能性もないとはいえない。

もう一つ注目したいのは、「官僚は時の政権を支えるものだ」という常識が、これからも通用するのかという問題だ。官僚は俗に「公僕」と呼ばれる。英語ではpublic servantだ。国民に仕える公務員という意味である。

議員代議制のもとで、有権者の直接的な審判を受けていない官僚が、選挙で選ばれた政権の政策に真正面から反対することは、そもそもどこまで許されるのだろうか。

「失政」という言葉がある。歴代政権はいくつもの失政を犯してきた。「失われた30年」を見れば、それは明らかだ。

一松氏の側に立てば、「減税や積極財政といった政策は間違っている。だから反対するのだ」ということになるのだろう。これは官僚としての信念なのかもしれない。

◇「ぬるま湯」に緊張関係を持ち込んだ人事権行使◇

代議制による間接民主主義の日本で、官僚は、総選挙によって誕生した政権の政策に真正面から反対することが許されるのだろうか。一方で、政権が国民に対する公約を実現するために人事権を行使したとすれば、そのこと自体を責めることもできない。

一松氏の主張が、左遷も覚悟した「諫言」だったとすれば、それもまた責められないだろう。問題は、こうした政治と官僚の緊張関係が今後どこまで広がるかだ。

高市首相による今回の人事権の行使は、日本の政治にどんな影響をもたらすのだろうか。

少なくとも、永田町や霞が関で政権と官僚の間に「緊張関係」が広がることは間違いないだろう。

自民党には、「正式に決まるまでは自由に意見を言える」という伝統がある。しかし、減税案がすでに党内手続きを経て了承され、閣議決定まで行われているのであれば、自民党としての方針は正式に決まっているといっていい。

とすれば、河野太郎氏や小渕優子氏ら減税反対派は、これからどうするのだろう。高市自民党総裁は、党内の反対派を党規違反と認識することもできる。反対派は、離党も覚悟して反対を続けるのだろうか。

日本の政局を見る際によく使われる言葉に、「ゆ党」や「ぬるま湯」がある。表面的には激しい議論が繰り広げられていても、実態は「出来レース」だったりする。熟議や徹底審議も、単なる時間稼ぎの建前になっていることがある。

そんな、ゆるゆるとした間接民主主義の政治に、「緊張関係」を持ち込んだ今回の人事。

これによって政治はどう動くのか。

今回の財務省人事は、単なる一官僚の異動にとどまらず、政権と政治家、官僚の関係そのものを問い直す、新たな問題提起になりそうだ。