高市早苗内閣の党役員人事と内閣改造が来週にも予定されている。党人事では、麻生太郎副総裁と鈴木俊一幹事長の留任が早々と内定したようだ。閣僚人事でも、片山さつき財務相、木原稔官房長官、茂木敏充外相、小泉進次郎防衛相らの留任が取り沙汰されており、主要閣僚や党役員に大きな変更はなさそうだ。

そんな中で、個人的に注目しているのが自民党参院の人事である。

衆院で316議席を獲得した高市首相は、衆院では圧倒的な勢力を確保している。一方、参院では依然として少数与党を強いられている。今年度予算の審議でも参院での調整が円滑に進まず、高市首相自身もかなり苛立ちを強めたことだろう。

しかし、同じ自民党とはいえ、衆院と参院では党内の権力構造に大きな違いがある。その実態をよく見ると、同じ政党とは思えないほどの独立性が参院自民党にはある。なぜ、こうした仕組みになっているのか。

理由は明快だ。自民党では、参院自民党の役員人事について、総裁が衆院側と同じように直接人事権を行使する仕組みにはなっていないからだ。

自民党の党則第61条4項は、「参議院議員総会長及び副会長は、参議院議員総会において公選する」と規定している。つまり、参院議員総会長と副会長は、参院議員で構成される参議院議員総会で選出される。また、党則第63条では、参院幹事長、参院政策審議会長、参院国会対策委員長などの役員についても、参議院議員総会で選挙または承認を得て決定する仕組みになっている。

このため、参院自民党の役員人事については、総裁である高市首相の意向がそのまま反映される仕組みにはなっていない。岸田文雄前首相も国会答弁で、参院自民党の会長などは参院議員による選挙で選ばれ、その他の役員も選ばれた会長の推薦などに基づいて決定されるため、総裁がその人事を行っているわけではないと説明している。

総裁が直接の人事権を持たないということは、同じ自民党であっても、衆院と参院では総裁の影響力に大きな差が生じるということである。参院自民党の議員にとっては、総裁の顔色をうかがったり、総裁への忖度によって役職が左右されたりする余地が、衆院側に比べて小さい。

逆に言えば、これこそが参院自民党の独立性を制度的に担保しているともいえる。

そのため、歴代の総理・総裁は参院自民党の執行部にことのほか気を遣ってきた。その代表格が、かつて「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄氏だった。

では、なぜ自民党は衆院と参院でこれほど違う仕組みを採用しているのか。

この制度の源流は、自民党が1955年に結党された当初にまでさかのぼる。参院については、両院制の趣旨を踏まえ、政権を担う衆院をチェックする役割が期待されてきた。参院議員の任期は6年で、衆院のような解散もない。その意味では、戦前の貴族院とは性格が異なるものの、短期的な政局に左右されにくい議院として位置付けられてきたと考えることができる。

日々の政局に追われる衆院に対して、参院がより長期的、大所高所から政策をチェックする。自民党が参院に一定の独立性を認めてきた背景には、そうした考え方があったのではないか。

それはそれで理解できる。

しかし、ここには一つの大きな矛盾がある。

選挙の際の公約は自民党という一つの政党として作成する。主要法案には党議拘束をかけ、所属議員の投票行動を拘束する。つまり、政策面では衆院も参院も「自民党」という一つの政党として行動している。

ところが、人事や国会運営になると、参院自民党には独自の意思決定構造が存在する。

人事権の一部を分けているという点では、まるで別の政党のような側面を持ちながら、公約も党議拘束も一つの自民党として扱われる。ここに矛盾はないのだろうか。

野党は、衆院でも参院でも基本的に同じ政党として活動している。にもかかわらず、自民党だけが「一つの政党でありながら、衆院と参院で異なる権力構造を持つ」という特殊な仕組みを維持しているのである。

まして参院で政権が少数与党となった場合、参院の判断は国政の行方を大きく左右する。

衆院で3分の2以上の勢力を持つ高市政権の場合、参院で否決された法案でも、衆院で3分の2以上の賛成を得て再可決すれば成立させることができる。ただし、これは例外的なケースだ。予算や条約、首相指名などを除けば、参院で否決された法案は原則として廃案になる。

つまり、参院自民党の独自性は、単なる党内人事の問題ではない。少数与党となっている参院において、政権の政策遂行能力そのものに影響を与え得る問題なのである。

もちろん、参院を軽視するつもりはない。むしろ、国内外の情勢が複雑化する中で、参院の重要性は今後、強まることはあっても弱まることはないだろう。

参院改革はこれまで何度となく議論されてきた。今さらという感もないではない。しかし、衆議院の議員定数削減をめぐる議論以上に、参院の役割と政党との関係をどう設計するのかという問題を議論する方が重要なのではないか。

例えば、参院で政党の影響を極力排除した選挙制度を導入する。議員は政党の方針ではなく、個人の責任において政策判断を行う。その一方で、政党の思惑や利害、人事権を背景とした賛否への介入から議員個人を解放する。

その代わり、現在の政党助成金に依存する仕組みを見直し、議員一人ひとりの政策立案を支えるスタッフ機能を大幅に強化する。そのための公的な予算も十分に確保する。

要するに、議員個人の政策判断を最大限に尊重し、参院を「政党の数合わせ」から解放するのである。

もちろん、派閥なき「派閥政治」が続いている現状を考えれば、こんなことを考えても現実味がないことは百も承知している。

それでも、改革なき政治に進歩も発展もない。

今回の高市政権の党役員人事・内閣改造を、単なる「誰が残り、誰が外れる」という人事の問題として見るのではなく、自民党における衆院と参院の権力構造、そして参院そのもののあり方を考える機会にしてもいいのではないか。