昨日当欄で、為替市場では円高基調への転換が近づいていると書いた。まさにその日に、円相場は一時1ドル=155円台まで急騰した。自慢をしたいわけではない。この円急騰の一因が、米連邦準備理事会(FRB)のウォーラー理事の発言にあることを指摘したいのだ。
そこで、この発言を伝えたロイターの記事を読んでみた。そこから浮かび上がってきたのは、米国の金融政策だけでなく、日米の金融政策をめぐる市場認識そのものが、いま不確実性と混沌の中にあるという現実だった。
FRBが直面する最大の課題は、次回の連邦公開市場委員会(FOMC、9月15~16日)で、利上げ、利下げ、据え置きのいずれを選択するかという難しい判断だ。
ウォーシュFRB議長は8月28日、ジャクソンホール経済シンポジウムで、「基調的なインフレ率が目標(2%)に向かって、明確かつ十分なペースで推移していると確信できる必要がある。そうでなければ、われわれにはまだやるべきことがある」と発言した。これは、インフレが十分に低下しなければ、追加利上げも辞さないとの強いメッセージと受け止められた。
就任以来、金融政策の方向性について明確なシグナルを発することに慎重だったウォーシュ議長にしては、かなり踏み込んだ発言だった。これを受けて、ドル円相場はドル高・円安方向に動いた。市場では、9月FOMCでの利上げ観測が強まり、ドル高が続くとの見方も広がった。
ところが、ウォーラー理事は3日、ロイター主催のイベント「Reuters NEXT」で、8月のインフレ指標が2%目標に向けて改善を続けていることが確認できれば、「政策金利を現行水準に据え置くことを支持する用意がある」と発言した。
「インフレ率が2%目標に向かって低下していることを確認する必要がある」という前提は、ウォーシュ議長とウォーラー理事で共通している。しかし、ウォーシュ議長の発言が追加利上げの可能性を強く意識させたのに対し、ウォーラー理事は、インフレが改善すれば「据え置き」を支持する可能性を明確に示した。
この政策スタンスの違いにマーケットは敏感に反応したようだ。利上げ観測が強まっていた市場にとって、ウォーラー理事による「据え置き」の可能性への言及は意外性が大きかった。結果として、米金利が低下し、ドルが売られる一方、日銀による追加利上げ観測も重なって、円が大きく買われる展開となった。ロイターも、ウォーラー理事の発言を受けて市場の利上げ観測が後退し、円が大幅に上昇したと報じている。
ウォーラー理事の発言で注目されるのは、金融政策だけではない。
ベッセント米財務長官が提唱する「経済成長による債務問題の解決」は可能かとの質問に対し、ウォーラー理事は、「構造的な財政赤字をゼロに近い水準まで縮小できれば可能になる」と指摘した。
一方、第2次世界大戦後に見られたように、債務負担を実質的にインフレによって軽減する手法については、「現在の環境で米国民をより豊かにする上で望ましい結果ではない」と否定的な見方を示した。
つまり、ベッセント氏が強調する経済成長率3%、インフレ率2%といった成長・物価目標を達成したとしても、それだけで財政赤字や政府債務の問題を解決できるわけではないということだ。
ベッセント氏は、米財政赤字の対GDP比を3%まで低下させることに加え、実質GDP成長率3%の達成などを目標に掲げている。しかし、ウォーラー理事は、現在の米国の財政赤字の規模を考えれば、経済成長だけでは債務負担を十分に軽減できないとの見方を示している。
米国の連邦財政赤字は、2025会計年度にGDP比5.9%となり、2024年度の6.3%から低下した。それでも過去50年平均の3.8%を大きく上回っている。さらに、2025年度末の公的保有債務はGDP比99.8%に達した。
今年度については、トランプ大統領の関税政策をめぐる米連邦最高裁の判断によって関税収入や歳入見通しにも不確実性が生じており、財政赤字が前年を上回る可能性もある。
ここで日本と比較してみると、注意すべき点がある。日本の政府債務残高はGDP比で約200%を超えており、米国よりはるかに大きい。ただし、日本では財政収支の改善が進んでおり、IMFによると2025年の政府のプライマリー赤字はGDP比0.9%程度まで縮小したと推計されている。
これ以外にもウォーラー理事は、ベッセント氏が進める長期国債の買い戻し政策についても懐疑的な見方を示している。米財務省は8月、10~30年債を対象とする買い戻しについて、1回当たりの規模を従来の20億ドルから少なくとも40億ドルへ倍増する方針を発表した。ベッセント氏は、その規模をさらに拡大する可能性にも言及している。
基軸通貨ドルを擁する米国では、巨大な財政赤字と政府債務が長期金利を押し上げる要因の一つとなっている。ウォーラー理事も、米国の財政赤字を現在のGDP比約6%から、持続可能な水準まで大幅に縮小する必要があると指摘している。
ベッセント財務長官は、こうした米国経済の実態を背景に、日本の財政政策や金融政策についても積極的に発言している。そのベッセント氏の主張に対して、米国内でも異論や反論、批判が存在する。今回のウォーラー理事の発言は、そうした米国内の政策論争の一端を浮き彫りにしたものと見ることもできる。
そして、これが日本にとって重要な意味を持つ。
日本政府は、米国からの財政・金融政策をめぐる発言にどう向き合うのか。日銀の金融政策だけでなく、財政政策、為替政策、そして巨額のジャパンマネーの海外投資まで含め、日本自身の利益を基準に総合的かつ自律的な政策判断を下せるのか。
米国発の政策の揺らぎと日本側の政策判断が交錯する中で、円相場はその「混沌」を最も敏感に映し出す市場になっている。
高市政権が、米国の要求や市場の圧力に左右されることなく、日本の財政・金融政策をどこまで自律的に運営できるのか。その独立性と政策遂行能力が、いよいよ問われ始めているのではないか。